築城者と築城時期

更新日:2019年08月30日

 山崎山城に関する史料は極めて少ないため、築城者は誰なのかは正確には分かりませんが、近江守護の佐々木六角氏配下の在地領主で、永禄11年(1568)から始まった織田信長の近江侵攻に伴い信長に従った山崎氏が、信長の命により築いたと考えられます。

 この城は、平成6年度に本市教育委員会が行いました発掘調査により、小規模ながらも石垣を設けた城であったことが分かりました。この石垣は、安土城の石垣に類似していることから、築城時期は安土城が築かれた天正年間(1573~1592)の初期頃と推定されます。

 なお、山崎氏は、豊臣秀吉の時代には摂津の三田(現在の兵庫県三田市)に移封されており、この時期に廃城となったものと考えられ、山崎山城が城として機能していたのは、短期間であったと推測されます。

山崎源太左衛門賢家[やまざきげんたざえもんかたいえ]の動行

永禄6年(1563)

観音寺騒動を機に六角氏と離反し浅井氏に付く。

永禄11年(1568)

観音寺城落城後、織田信長に従い姉川の合戦の先陣を務める。

天正10年(1582)

甲州攻め後、安土城への帰途に山崎山城にて信長に一献進上。信長より摂津国三田、丹波国氷山で23,900石賜る。本能寺の変後、秀吉配下に入る。

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