町人の町-七曲りと袋町-

更新日:2019年08月30日

 城下町へ物資を運ぶため、中山道から城下町への脇街道がつけられ、高宮から沼波、芹川南岸、橋本町、河原町を経て伝馬町(現在の中央町付近)へ通じていました。この街道付近には、正保元年(1644)に善利中町・大橋町・岡町・沼波町などが新たに造られ、元禄8年(1695)の記録には桶屋・古鉄屋・米屋・茶屋・塩屋・小間物屋など、さまざまの職種の人々が見られました。屈曲した街路から七曲りの名で知られています。
 この付近でいつ頃から仏壇が作られるようになったか、詳しいことは分かっていませんが、元禄年間に善利中町・大橋町・沼波町に5軒(城下町全体では23 軒)の塗師屋(ぬしや)(漆塗りをする職人)があり、江戸時代中期には仏壇の重要な工程を受けもつ漆職人がいたようです。これをすぐに仏壇製造と結びつけるのは不十分ですが、仏壇が作られる基盤があったことは想定できるでしょう。

袋町

 現在、飲食店が林立するこの地域は、元禄8年頃は、米屋10軒、大工7軒、煙草屋・塩屋各5軒、油屋・小間物屋紐屋各3軒、麻屋・割木屋・木屋・炭屋・ 木挽各2軒など23種の職種の人々が住んだにぎやかな町でしたが、飲食業に類する店はなかったようです。禅門や尼など出家をして仏門に入った人々が多いのも特徴でした。現在の飲食街への発展は江戸時代末から明治以降のことと考えられています。    

町人の町の曲がり角の様子の写真
町人の町地域の街道の様子の写真
町人の町の建物の写真
屋敷図(七曲りと袋町)の地図のイラスト

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