入選 楽々園の枯山水
大薮町 角省三
何年も前から、一度ゆっくりと鑑賞してみたいと思っていた楽々園の枯山水庭が、一般に無料公開されていることを知ってから、まだ一年にもならない。
雨上がりで、樹木や石や苔がたっぷりと水を含んだ日の朝、紅葉が西日に映えて美しく眺められた秋の夕暮れ、そして、木陰に少しづつ雪の残っていた三月初めの昼下がり、などと庭好きの私はそれでも、もう七〜八回はここの枯山水の前に足を運んだことになるだろうか。
今では旅館を廃業されているようであるが、それまでは何となく近寄り難い思いで眺めては通り過ぎていた正面玄関、その玄関脇の竹垣の小さな通用口から、気楽に、いつでも出入り出来るようになってから、私にとっては郷里彦根に帰って来てからの楽しみが、一つ増えたような気がしてならない。
「楽々園」の名前で親しく呼ばれるこの槻(けやき)御殿は、第四代藩主井伊直興が延宝七年(一六七九年)に完成させたもので、下屋敷として築造され、木材は全て槻(けやき)が使われているという。
大老井伊直弼が、文化十二年(一八一五年)にここで生まれたことは余りにも有名である。
書院の前庭として造られたこの枯山水の庭は、隣の玄宮園と接していて、何れも井伊家の庭園ではあるが、作庭の年代、庭の様式が全く異なっていて、庭そのものの相関関係は全く無いものと私は考えている。
そのことを言いたげに、近江の国随一ともいわれるこの枯山水の名庭は、池泉回遊様式の玄宮園に対して背中を向け、完全にソッポを向いてるような位置に作庭されているところが、なかなか面白いと思われる。
今、目前に悠然と広がる楽々園の枯山水は、正に行雲流水、さまざまに移り変わる歴史の足跡を眺め続け、永年の風雪に耐え続けるその姿は、この先私たちがたどるべき方向をさえ、明示してくれているのかもしれない。
いかにも大名庭園にふさわしく、庭の広さは約千二百坪という広大なもので、後殿南部に設けられた築山が最も大きく、そこには大刈込みと、一種の須弥山式の立石による石組が配されている。そしてこの築山の中央部に枯滝が設けられてあり、それは大変に力強い大胆な石組でこの庭の最大の見どころである。
そこから流れ出る枯流れは、その中段では、自然石で架けられた姿の良い石橋をくぐり、奇石、怪石を左右に見ながら、少しづつ落ち込んで勾配の中を時には荒々しい勢いで、或は又、激しい水しぶきをあげなら、築山の下の枯池にそそぎ込んでいる。
築山に置かれた石は、その中心をなす三角形の遠山(えんざん)石を初め、三尊(さんぞん)石など全て豪快でダイナミックに組合わされていて、それでいて中段に架かる橋の橋添(はしぞえ)石が一段と高く立てられていて、石組全体のバランスが実にうまくとられていることには感心させられる。
枯池との境を表す護岸石は、さすがに横石が穏やかに使われていて、心なごむ景観となっている。そして、広すぎるように感じられる枯池、即ち砂地の部分は大海を意味し、槻御殿近くから眺めると、築山は洋上遥かに浮ぶ蓬莱島の意匠である、とする説明にも納得出来るものがあると考えるのである。
「池も無く、遣水(やりみず)も無きところに石を立つること、これを枯山水と名づく」と「作庭記」に書かれているが、つまるところ、庭とは山水の美の凝縮であり、抽象であるのだろう。
京都大徳寺の塔頭(たっちゅう)の一つに大仙院がある。凝縮といえば、その大仙院の石庭ほど見事に自然を凝縮させた庭を私は他に知らない。
狭い空間にあれだけの癖のある石を集めて、山水の情景を見事に造り出したのは、その迫力に於て奇観であり、偉観であると思う。
幸いにも、ここ楽々園には広々とした空間が与えられていて、そこには、伸びやかで明るい雰囲気がただよっているのが良い。
背景には玄宮園の高い樹木や、それに、どうかすると天気の良い日にはその向う遠くに、鈴鹿山系の稜線が見え、庭全体の借景としての役割を果たしてくれることがうれしい。
「楽々園」の名は、「仁者は山を楽しみ、知者は水を楽しむ」の意からとったといわれ、民の楽を楽しむ「仁政」(人民の立場を思いやって政治を行う)の意を持っていると伝えられている。だから庭を眺めての帰り道、何故か遠くを見つめているような大老銅像の目を見つめ、そのすぐ近くに出来ている「花の生涯」の、いくらかモダンな石碑に目をやる時、ふと思うことがある。それは、
「さきがけし 猛き心の花ふさは 散りてぞいとど 香に匂ひける」
という歌を残して、桜田門外に散った大老井伊直弼の本心に思いをはせる時、開国による世界平和をこいねがう「仁政」、それこそが彼の熱き胸の内に燃えたぎっていた大望であったに違いない、とこのように考えるのはひとり私だけであろうか、ということである。
玄宮園の池泉回遊様式の庭と対比的な枯山水の楽々園の庭を、筆者は朝に夕に四季を通じて歩を運び、心からその庭を楽しんでいる。庭の叙述に止まらず井伊大老の人物像にまで思いをはせて「庭」を見る筆者の造詣の深さに引き込まれていく。庭の美しさの描写がやや解説的であり、今一つ感覚的なとらえ方の表現があればと惜しまれる。 |