入選 「ご城下めぐりスタンプラリーと私」
大薮町 寺田すゑ子
錦秋の城下に広げられる絵巻物のような”小江戸彦根の城まつり”パレード。
毎年、お城まつりのメインイベントでもあり、古い時代風俗の行列は、どっと繰り出した見物衆を遠い昔へといざなう。
井伊の赤鬼家臣団の武者、鉄砲隊の隊士、或いは、こども大名行列の殿様や家老・腰元連の中にも知った顔があったりして、思わず和む心に、昔と今が融合するのである。
昨秋のパレードは、私にとっても孫の奴さんが見られ格別であったが、”ご城下めぐりスタンプラリー”の方が、自分が参加するイベントだけに身近な感がある。平成六年にテクテクハンティングとして創始なった行事だが、どれくらい市民に馴染んだのだろうか。これまで三回、私は欠かさず参加している。
最初の六年秋は、二女が育児休職中だったので、車に乗せて貰って寺社を巡ることに。菊日和の十時頃からお弁当持参で出かけた。生れ育ちは彦根ではないが、市内の現住地に暮らしを重ねて二十有余年、なのに、スタンプラリーする城下の由緒ある名の知れた寺社の殆どが未知という情なさ。
通りすがりの人に尋ね教えられるままに道程を辿ったが、車では行き過ぎてしまったり、駐車も思う様に出来なかったり、ピクニック気分の弁当持参も昼食をとる所もわきまえなかったと恥ずかしく、一歳十一ヶ月と七ヶ月の孫を連れての初日は散散で早々の帰宅となった。娘の好意が無に、いや仇となり気づいたテクテクハンティングを車でするなんて、端から間違いだったのだ・・・・と。
翌日は一人自転車で午後から三ヶ寺だけ巡った。残りの分は日を置きながらゆっくり第一回”ご城下めぐりスタンプラリー”を果した。五百羅漢の天寧寺、朱も鮮明に修復なったばかりの済福寺、壮大な鐘桜門の明性寺、芭蕉ゆかりの明照寺は買物に横手の未知を往来することもあり、江国寺も見知ってはいるものの、長久寺や大師寺、普段私が訪れる機会もない地の圓常寺・北野寺、全てこのイベントがなけりゃ無縁のままだったかもしれないと思いつつ掌を合わせ、スタンプを押した。一番遠方の金比羅宮は、実家が慈眼寺の檀家なので、金比羅宮の寄進に加わり、その祝祭に招かれた記憶もあるが、もう幾年も経つし、一人自転車での行程は容易ではなかった。初めて口に含んだ十王村の名水・お城・博物館・千代神社・駅前観光案内所の計十六カ所のスタンプが赤い表紙の朱印帳に。すべてのポイントを走破した記念の品は、豆電池灯、クイズ賞品はどれも抽選外れだった。
第二回の七年は二十カ所。十二カ所は前年と同じで、金比羅宮も勝手知った強みか余裕のラリーであった。初めての清涼寺・大洞弁財天は道に迷ったり苦労もあったが、井伊家の菩提寺はその名の如く清涼な寺だったし、佐和山の中腹に在する大洞弁財天も感動で見えられた。旧広田家住宅のスタンプはその前の道沿いに設置されていたが、無知な私は、江戸時代の魚問屋のことなど知る由もなく、安正七年と鬼瓦に刻名があり町家として重要な建物とされるそれに気もつかず、近辺を何回もウロウロしてしまった。最後に訪れた円照寺は、中仙道を見おろす松の巨木が色濃く黄昏の中にあった。この年の朱印帳は芥子色。
去年は南北二通りのコースで、南九カ所、北は十二カ所、そのうち一カ所のスタンプはなくてもいいので、共通の多景島の見塔寺は止め、両コース十九カ所を巡ることにした。
毎年十月一日より城まつり最終日迄の期間の中、私は数日過ぎた頃より始めるが、去年は遅くなって十八日が初日。まず南コースの三年続きのお寺をめぐった。二十日は北コースの護国神社など。女子高校生の二人連れと行く先々で一緒になった。日曜日は避けてきたので時たまスタンプを押す人を見かけても老人だったが、日曜日はさすがに若者に出会う。北コースは数が多くても難所は鳥居本宿だけ。それも遠くてわかり難かっただけである。南コースの荒神山神社は山頂まで大変だった。大銀杏のある法蔵寺の道程に思わぬ時間を費やした為、日没が迫る頃に荒神山の麓に着いた。古い社の辺りで草むしりをされている奥さんに登る道を聞くと、これからじゃ無理ですよと云われる。自転車では自動車道は登れないから、ここから歩く方がましと指さされた処も山道とも思えない。事情を話し「また来ます」と去りかけると、うちは禰宜だから試印の紙があるので、スタンプが要るならその紙を貼る様に云ってくださった。有難かったけどお断りした。スタンプが目当てじゃないと心に呟いて。
翌日、オンボロ自転車を供に、自動車道から荒神山神社のある頂をめざした。途中、心肺にやや不安持つ私はへこたれかけたが、スタンプを押して、悠々の帰途は、自力で成し得た悦びがさわやかな秋風に揺られていた。
今年も元気に第四回のご城下めぐりに出かけたいと思う。
「多くの史跡や文化財のある彦根のまちのよさをスタンプラリーで知ろう」との企画行事に、積極的に参加され、一つ一つ自分のものとして取り組む姿勢を、むだのない表現で書き進められている。ただ、三年間のあゆみを通りすぎていくままの記述なので文書の構成に一工夫あってもよいのではないだろうか。 |