入選 最後の旅
東沼波町 郡田和夫
余命三ヶ月と告げられて、妻が退院したその日、「旅行に行ってもいいよ」という主治医の言葉を伝えると、「もういいの」といって、何も知らない妻のはしゃぐ姿が、何とも不憫に思えた。
それから二週間後、妻の希望にそって、田所湖周辺への旅に立った。好天に恵まれた当日、東北新幹線の車内で昼食もすんで、旅行のスケジュールは順調に進んでいるかのように思えた。ところが、列車が北上駅付近に差しかかった頃、突如「昨夜来の豪雨のため田所湖線が不通」という車内放送が流され、いまさら後戻りも出来ず、やむなく北上駅で下車し、横手、大曲を経由して、田所湖駅に着いたときは、時計の針は四時を回っていた。そのため、予定していた玉川温泉への立寄り湯を断念しなければならなかった。駅前からタクシーに乗り、宿泊先のホテルに直行した。
車から降りると、一旦荷物をホテルに預け、カメラだけを持って付近を散策することにした。ここ田所湖高原地帯は、さすが東洋のスイスといわれるだけのことはあって、恵まれた自然を背景に、欧風のゴージャスなホテルが所狭しと立ち竝び、その間に挟まれるようにペンション風の郵便局が瀟洒な佇まいを見せていた。郵便局を背に妻の写真を一枚撮ると、今度は駒ヶ岳を見るため、ホテルの裏側へ回った。
目のあたりに見る駒ヶ岳は壮観であった。高山植物だろうか。中腹から頂上に至る赤と黄の織りなす錦繍の色模様に吸い寄せられるように視線が釘づけにされる。だが、黄昏どきの山の紅葉は華やかさの中にも哀愁が漂う。寂寥を感じた私は妻に思いを馳せた。今日が最後になるかも知れない妻との旅。そして・・・永遠の別離。抑えていたものが込みあげてきたが、妻は疲れた様子もなく、元気な声で、「ここまで来てよかったわ」といった。広大な自然の前には言葉は無用であった。私たち二人は束の間の幸せをかみしめるように、荘洋とした高原の大地をあてどもなく歩いた。
ホテルに戻ると、早速、浴場へ向かった。だれ一人いない単純泉の豊富な湯量の湯船に疲れを癒して浩然の気を養い、部屋に戻ると、間もなく夕食が運ばれて来た。素朴な山の御馳走に舌鼓みを打ちながら、妻と一献交わしてしばし至福の時を過ごす。食事が終わると、妻は買い物に行くからと、一階の売店まで降りていった。私も途中まで同行したが、もう一度、湯を浴びて部屋に戻り妻を待った。
間もなく妻は「土産物を送っておいたからね」とホッとした表情で部屋に現われた。就寝前のひととき、二人は寝床を前にして秋の夜長を雑談に興じた。久し振りの旅行という解放感からか、妻は自分の生い立ちから、これからのことについて、思うままによく喋った。そして終戦直後のどん底生活のときに、幼い弟を抱えて、両親を見送ったという。苦難の少女時代を振り返ると、初めて私に涙を見せた。私は返す言葉に窮した。しばらくして「お前も苦労したんやなあ」といったあと、「人生は最後までわからないよ」と応えると「でも今は幸せよ」と妻は、私への気遣いを見せた。私がこれ程長い時間をかけて、妻と語り合ったのは初めてのことであるが、これまで、妻をあまりにも知らな過ぎたような気がした。それは、死を前にした妻の、私への最後のメッセージであったのかも知れない。
翌朝、八時に観光タクシーが迎えに来た。運転手さんの計らいで、最終目的地である田所湖に行く前に、近隣の温泉地、鶴の湯温泉に立ち寄り湯をすることになった。秋晴れの好天の中、急峻な谷間を縫う登り下りの激しい道を何度も迂回しながら、約十分後、木づくりの棟に囲れた、鶴の湯温泉の庭先に着いた。
残念なことに、ここは予定外の立ち寄り湯のため、あまり時間がとれず、紅葉の山々を背にして泉質の違う四つの露天風呂で疲れを癒して、湯から上がると、休憩する間もなく、目指す田所湖畔の方へ向かった。
車から降りて路上に立つと、二人は遊覧船が停泊している桟橋の方へ向かった。四方木々に囲まれた早朝の田所湖はひっそりと静まり返っていた。寂寥として、あたりは人影もなく、朝の陽光に映えた鏡のように光り輝く湖面の前方には、うっすらと色づき始めた山々が、その麓姿を湖面に落としていた。
「どうや、田所湖は」と妻に問いかけると、「十和田湖のようなスケールはないけど、ここも美しい神秘的な感じのする湖ね」と妻は満足そうな表情で応えた。
湖面を背に、妻と私は交互に写真を撮ったあと、瑠璃色の湖面を見つめながら佇んでいたが、ときは刻々と迫っていた。
「ぼちぼち戻ろうか」去り難い思いをたって二人は観光タクシーが待機している路上の方へ向かった。鮮烈なる思い出を刻んだ、妻と私との最後の旅も、愈々終章に近づいていた。
死期せまる妻との旅に出た筆者の、妻へのいたわりの心が随所にあふれている。しかし、久し振りの旅行に心はずませている妻を見ての、最期になるであろう旅の表現としては、少し心に迫ってくるものがほしかった。旅の行程の叙述をもう少し抑えてもよいのではないだろうか。 |