特選 母の人生
犬上郡多賀町 木村秦崇
ペンによる仕事を選びし汝にして
手助けの術我は知らざり
今からちょうど十五年位前の私の誕生日だった。大学を卒業して、親の反対を押し切って自分の希望通りの進路に進んだ私は、東京の空の下で雑誌の編集者をしていた。いつも通り残業の仕事を終え、同僚達と軽く一杯やってから池袋のアパートに帰ると、母から手紙が来ていた。その手紙の内容も、たぶんあったのであろう誕生日を祝う文句も覚えていないが、冒頭の母の自作の短歌だけは、十五年経った今も心の中に刻み込まれている。私の母はもう三十年以上短歌を作り続けている。近江湖東の地で、保母をし、森林組合に勤め、専業主婦をし、母親として、寺の嫁として、六十余年を生きてきた。まるで日記の代わりのように、母は新聞のチラシの裏に、お布施の袋の裏に、洗濯を済ませた後、庭の草むしりを済ませた後、鉛筆を走らせ、日々の暮らしの中での思いを三十一文字の歌に詠み込んでいる。母の作る短歌はたぶんそんなにうまくはないだろう。うまくもない短歌を三十年以上作り続けている母。私は、その三十年以上の間に作られた膨大な量の作品のうち、宙で口ずさむことができるのは冒頭の一首だけであり、母が所属している結社の冊子も何度も目にしているから母の作品には数多く接しているはずなのに、今も記憶に残っているのは、冒頭の一首しかない。思えば、随分と薄情な息子である。
数日前、私は中学二年生の生徒達を前にして教室の中でこんな事を言った。
「今、君達は自分のことだけ考えたっていいと思う。自分の夢、自分の目標、自分のやりたいこと、そういう自分のことだけに夢中になったっていいと思う。この世で自分を一番大切にして生きていくスタイルでいいと思うんだ。十代、二十代はそういう生き方で構わないような気がする。決して自分さえ良ければとか、他人はどうだっていいといった意味じゃない。自分を大切にする人って、他人をいじめたり、他人の邪魔をしたりはしないよ。自分の夢を大切にしてる人って、他人の夢の邪魔はしないよ。だから、むしろ俺は自分を大切にしない奴って信じられないんだ。」
何がきっかけでこんな話になったのか覚えていないが、気がついたら「国語」の授業そっちのけで中学二年生相手にちょっと真剣に人生を語ってしまっていた。自己弁護のためにこんな発言をしたわけではないが、それにしても私の十代二十代は文字通り自分のためだけにあったようなものだった。いかなる選択の場においても、常に自分の意志を優先させた。ただ一度限りの自分の人生、自分の人生の夢を何よりも大切にしたい、そんな思いが四六時中胸の中にはあって、その<若さ>はまったく恐いもの知らずだった。私は、そんな若かった頃の自分をなぞるようにして、<若さ>が始まったばかりの中学二年生に喋ったわけだが、今時の中学生達はものすごくクールに受けとめてくれる。どちらが年長者なのかわからなくなるほど、彼らは自分がこれから生きて行くことに対して冷静に構えている。将来何になりたい?と聞く。教師と答えた者が一番多かった。続いて、プログラマー、保母、看護婦、弁護士、美容師……。歌手だの俳優だのサッカー選手だのといったデッカイ、子供らしい夢を語ってくれる子は数えるほどしかいない。どこに住みたい?と聞く。東京、大阪といった答えが多いと思ったら大間違いで、彼らの多くがこのふるさと、滋賀がいいと声を揃える。
私はこの四十を前にした年齢になってはじめて自分が生まれ育ったこの滋賀が心からいいと思えるようになった。そして、この年齢になってはじめてさまざまな選択の場において、自分を前に出すことを躊躇うようになってきた。
そして、今、<若さ>は見向きもすることのなかった母の生き方について、あれこれと思い、いろいろと考える。母は、六十余年、この滋賀で平凡に生きてきた。大きな夢を追いかけることもなく、自己主張で他者に迷惑をかけることもなく、自分に強いられる運命的なものを、反発もせず受け入れて、一日一日を精一杯、懸命に生きてきた。私の家は寺だが、田も畑もあった。父も三十年農協で働いたし、母もずっと外で働いていた。主婦業と、外での仕事と、田畑と、寺の嫁としての仕事。母は、働き続け、そしてその毎日の暮らしを短歌の中に詠んできた。「もっと自分のために生きてほしい」と、二十年代の頃、私は父や母に心の中で叫び続けていた。「子のために生きるのではなく、自分のきらめきのために生きてほしい」と、親不孝にも思ったものだが、今、<若さ>からようやく解放されて思う。与えられた一日一日を驕ることなく浮かれることなくどっしりと生きてきた母はちょっと素敵だと − 。
息子から尊敬されている母 − それは平凡な生活を非凡に生きることかも知れない。若い間は見えなかった母の生き方や自分への深い愛を筆者は不惑の年を前にしてしみじみ理解できた。この心の経緯を一首の短歌を冒頭に配して書き進めたのは、筆者自らの心の成長の過程に、繰り返し口ずさんで心を鼓舞した原点のうたであったからであろうか。文の構成、現代の若者気質を自分のそれと重ねての表現など十分に推敲された作品で読み応えがある。 |