特選 今日は髪を短く

大薮町 西野みどり


なつかしい母の記憶の断片
夏のワンピースから匂う香水
「命短し…」と歌う切ない声
好物の南京豆を食べている口もと
「犬と子供は大嫌い」だった
思いの外小さな足と靴

のびた白髪が顔をしぼませて見せる
やせ細った身をベッドに横たえて
母はもう九年間も病み惚けている
私は幾つも幾つも母の記憶を
過去に葬ってきた
現実を受け入れるために
だから今 母を失う悲しみは深くない

生きることを恥じるような目をして
じっと私を見る
何と たよりなく愛しい母のぬけがら
その託された重みにめげながら
寄り添うのは娘だから
誰も知らない母の記憶の中に
さまよっている小さな女の子を
やさしく呼んでいる声が聞こえるから

誰に会うわけでもないけれど
かあさん 今日は髪を短く切ろう


(評)
病み惚けている−。母を九年間も看取りつづけてきた娘として、その心象の揺れが表出されている。親子の絆、は忍耐を求め、また慰めも与える。長寿社会の問題点も浮んでくる。三連目が特に出色である。


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