入選 私とゴキブリ体操
平田町 三宅春代
ゴキブリ体操を始めてから、どれくらいの歳月がたっただろうか。
今、こうしてあらためて思いおこしてみると、成人している息子達が高校生ぐらいの時だから、すでに二十年近くにもなる。
当時の私は職場と家との往復で、いわゆる共稼ぎ生活をしており、職場へ行けば子供達が相手で、少しも気の休まることがない。家へ帰れば「腹へったあー」の声を背に、あわただしく食事の用意と片付け、そして明日の準備など生活に追われた暮らしがいつの間にか、肩凝りという有り難くないお荷物を背負うはめになってしまったのである。
それでも勤めや学校から疲れて帰ってくる夫や息子達に哀願して、肩を叩いてもらったり揉んでもらったりするが、その時のみで根本的に肩の凝りは解消しない。肩凝りの原因は血の循環が悪いとのことで、体操をしたり、肩凝り用の湿布や、膏薬を貼ってもその場かぎりで長続きせず、根本的には一向になおらなかった。
丁度その頃である。たしか中日新聞だったと思うが、健康についての連載記事が載っていて、目に留まったのが「西式健康療法」だった。その記事を記憶に残っているのを断片的に書くと次の様な事である。人間の手先足先には沢山の毛細血管がながれていて、その血管を振動し刺激することによって、体中の血管の流れをよくし、血圧を下げ、体調を整えるのに効果があるという内容であった。
肩凝りは血が循環は悪いことによっておこるとなると、もしやこの療法で解消するかも知れないと、その記事の続きに書いてあった手足の振動のやり方を早速にやってみた。
先ず仰向けに寝て、両手足を垂直に立て、その手足を振るのである。しかし手は簡単に振れるが、足を垂直に立てたままで振るのは結構しんどい。ところがたまたま私のその格好を見ていた次男が、
「わあ、ゴキブリと一緒や。薬をかけられひっくり返って、バタバタやってるのとそっくりだ」
と言ったことから、この両手足を振動する「西式健康療法」が思いもかけず、わが家では「ゴキブリ体操」と名付けられてしまったのである。
新聞には、朝目が覚めたときと、夜寝る前に振動させると効果的だとあったので、朝床を離れた後すぐに引っくり返って手足を振る。朝は十分に体を休めたあとなので、至って元気よくバタバタ振れるが、夜寝る前は一日の体力を消耗し、また眠気の襲ってくる時などは、たった三分程度の手足の振動もつらくこたえる。私の場合どうしても就寝前のゴキブリ体操はとかくおろそかになり勝ちだった。それでもこの体操をしてからゆったりと湯ぶねに浸たると、血の循環がよくなるような気がして、その後の睡眠が熟睡できた。そして今度は、気候の良いときはそんなに苦にならなかったが、寒いときは寒気で手先が冷たくなると、手袋をして振るようにも気が付いた。
この体操も、わが家でやっている段では別に抵抗はないが、旅に出たとき、旅館で友人等と同室の時は格好が悪い。浴衣の裾をからげてやるのも気が引けるので、パジャマの下だけは持参していた。しかし皆にこの体操の効果等を話すと、たちまち真似をしてはじめる者もいる。そしてときには一部屋のみんなが引っくり返って手足を振り出した光景は、滑稽と言おうか、まったく見物であった。常連の友人達には、すでに体操が定着し、そしてよいことが分かっていてもなかなか続けてやっている者は少ない。
朝夕の枕もとで、バタバタ手足を振る私を見ている夫は、血圧が高めで運動不足をかこっているのに、いくらすすめてもやろうとはしない。よいことは分かっているのだが、続かないのである。そのくせ、肩凝りや体調の悪い友人には、ゴキブリ体操をすすめているのだから、ほんとに世話が無いといったところである。
いつとはなしに始めたこのゴキブリ体操は、私の暮らしにすっかり定着したのと同時に、あれほど執拗に悩まされた肩凝りが、すっかり消えたことである。今では朝目が覚めて着替えると、まったく無意識のうちに引っくり返って、すぐバタバタ手足を振っている。夜などはテレビを見ながら、ラジオを聞きながらといった具合でもやっている。こうして新聞に掲載されていたとおり、毛細血管を刺激することで、血の循環を良くし、肩凝りが解消されたことと確信している。
仕事と家事に追われる毎日、肩凝りからぬけ出るため、たまたま目にした簡単な体操を続ける作者、家族とのほほえましい会話、ユーモアを楽しくつなぎながら読者にも呼びかけている。生活が溢れ出ている屈託ない文章に親しみがもてる。 |