入選  人生の車輪

高宮町 細田綾子


 太陽の光が眩しく輝き、小鳥のさえずりと豊かな木々の緑も鮮やかに、名もなき草花は今を盛りと咲きみだれ、あたりは驚く程静かなまるで、おとぎの国にでもいる様な、不思議な世界に、私達家族は出られました。夢ならば覚めないでほしいと願いつつ、暗くて辛い人生のトンネルの出口へと、ただ夢中で我を忘れ、必死で生きて、ようやくたどりつく事ができました。

 思いおこせば十年前の事です。

 平成元年の夏、十七歳にして青春を駆けぬけて逝ってしまった次男がいました。言い様のない深い悲しみと戦いつつ、息のつまる暗くて長いトンネルの中をあてもなくさまよい、俤ばかりを追い、過ぎ去った十七年間を懐かしみ、明日と言う日に怯え、人との会話も、おぞましく、ただひっそりと殻の中に閉じ込もりじっと耐えて来ました。涙も枯れ果て、辛さのどん底まで落ちた時、投げやりな心を、どうする事も出来ず、不思議と怖いものなど、何一つなかったのです。

 もう私達には、人並みの幸せなんて縁がないものと諦め、悲しみの渦の中で明け暮れておりました。地獄の苦しみは、寝ても覚めても襲いかかり、やがては大きな渦となり、その中で家族三人は、溺れていました。この時期、初めて一人の人間としての存在感や価値観を、思い知らされ、心の中に、大きな穴があき、この穴はいつ埋まるともなく、暗い淋しい時期でした。

 人生を車輪にたとえたなら、輪が下へと回る程、辛く思い、上を向く程、幸せなのだと幼い頃母から聞きました。今の私も同じ様だと思いました。辛さ百倍と言った年月に、もう我が家には幸せの車輪なんて巡って来ないものだと思っておりました。でも知らないまま十年の歳月は少しずつ、幸せへの道へと歩み始めていたのでした。これも亡き息子が、幸せへと車輪を導いてくれたお陰だと、深く感謝せずにはいられませんでした。

 幸せへと軌道に乗った車輪は、驚く程に早く回り夢の様で、平成九年の夏に、ささやかではありますが新しく家も建ち、木々の温もりや新畳の匂いに噎せ返り、幸せ感を味わっています。苦労して建ててくれた主人が、大きく見えて、うれし涙にくれました。

 そんな頃、長男は素敵な方を連れて、親に結婚の意志を伝えてくれました。二重の喜びにただ涙し、幸せと言う言葉の意味を、改めてかみしめ、夜遅くまで語り合いました。彼女はかわいく、私に娘のいないせいか愛しく思い、我が家のアイドル的存在です。

 木々の緑も鮮かな新緑の頃、私に娘ができる喜びを、長男には悪いと思いながら、心待ちにしています。人生最大の幸せを、生涯忘れる事はありません。この新しい家で、確かな充実した日々を送れます様に、家族と言う枠の中で、助け合って生きたいと思います。心に大きく人生の夢が膨らんで来ます。

 人生には「七転び八起き」と言うことわざがあります。「もう駄目だ」なんて事は絶対にないのです。たとへ道を見失っても、必ずどこかに生きるすべの道はあると信じます。決して望みを捨てず、苦しみに耐える事ができたら、人生の幸せはまた、巡って来るのだと辛く長いトンネルを経て、今しみじみ知った思いです。

 誰しも苦の無い恵まれた環境の中で暮らしたいのですが現実は厳しく、苦によって得た喜びは、何倍もの幸せを運んでくれます。私の家族に、本当の幸せを教えてくれたのは、亡き息子なのです。

 神や仏様は、家族にお慈悲を下さいました。十年と言う歳月は、悲しみの歳月だけでなく世代交代の時期を準備する期間だったのだと遅ればせながら知りました。

 季節に四季がある様に、我が家にも春は巡って参りました。やわらかな春の陽ざしが、あたり一面にまぶしく差し込んで賑やかに、人生の宴が始まったかのようで、いつになく心が弾み落着きません。

 今日は待ちに待った休日です。彼女の車が玄関に滑りこむ様に、静かに止まり、長い髪がやさしく揺れて、小走りに靴音が聞こえてくると、息子は、そわそわして、傍で見ていると可笑しくなり、つい笑ってしまいます。何カ月も顔を見なかったかの様に一気にお喋りに夢中となり、時の過ぎるのを忘れてしまいます。女性はお喋りが大好きで長時間話していると、次第に息子の機嫌を損なうので、二人の邪魔にならない様にと、お喋りを控えております。緑の爽やかな頃「息子にお嫁さんが来て下さる」そう思うだけで幸せ気分に酔いしれて、心が熱くなります。

 若くして逝った次男に、親として何もしてやれなかった分、私は来て下さるお嫁さんに、お返ししたいと思っています。人生車輪が、「いつまでも動かないで」と願いつつ、今は頂点で甘えています。また、親子四人に戻り、訪れた人生の春を歩きたく、その佳き日を家族は心から待ち望んでおります。


(評)
次男を失って以来の悲しさから、現在の幸せに至るまでの経過が、誠実な筆致で綴られている。喜びの表現に、やや重複する面がみられる。文体、文章表記など今後、一層の推敲を望む。


戻る