入選 五十歳を迎えて

日夏町 田中恵子


 小学五、六年の頃だったと思う。どこの駅だったか、彦根か京都辺りか、それとも全く初めて訪れた駅だったか、季節がいつ頃かも覚えていない。どこかへ出かけるその行きか帰りかの駅のホームで、まばらにいた電車待ちの人々の中に、赤ん坊を抱きかかえてあやしている若い女の人を見て、私は、いつか私にもあんな風に赤ちゃんを抱く時がくるのだろうかと思ったことを覚えている。

 子ども心にもその若い人は新米の頼りなげな母親に見えたが、赤ん坊を見つめる顔は笑顔いっぱいだった。そばにその人の母親らしい人が立っていて、この人も赤ん坊をのぞき込んで笑っていた。それだけの光景である。それだけを四十年近くたった今も覚えている。

 時間はすぎて、私にも確かに赤ん坊をおそるおそる抱きかかえる時が来た。一人、二人、三人と産まれる度に出産への敬虔な気持ちも育児への心細さも薄れ、子育てがおおざっぱになっていった。それでも子どもたちは成長し、この三月、下の子が高校を卒業した。私は駅で見た若い母親どころか、そばにいた、若い母の母親の年になってしまった。いずれ私にも、その人のように孫を愛しく見守る時がくるのであろう。

 四十歳を過ぎた頃はまだよかった。自分の人生はこれからのように思っていた。才能も可能性もないのに、努力もしていないのに、まだ先に何か芽を出させそうな期待を抱いていた。

 夫と子どもを送り出し、家事をすませ、仕事をする。その合い間に本を読んだり友人とおしゃべりをしたり、遊び歩いて一日ふわふわと過ごした。先週は何をしていたのか思い出せないままに今週も終わっていく。一月がすぎ、暑い寒いとうろたえている内に一年がすぎる。

 壷井栄さんや住井すゑさんは中年から作家活動に入られたと知って、子育てが終わってから自分の道を見つけられた人もいるのだ、まだまだ先はあると自分を暗示にかけ、ごまかしていた。その間に時計はカチカチと確実に針を進めていた。

 私は少しあせり出した。何ともう四十半ばである。私は五年前、通信制大学に入学し、社会福祉学科の学生となった。大学へ入って勉強したいという思いは純粋な私の魂そのものである。しかし特別社会福祉に関心を持った訳でもなく、社会に役立つことをしたいと思ったのでもない。どうやらこの先何ともなりそうにない自分の人生に気付き、何でもよいからやっみようというのが本音だった。

 家事と仕事の合い間の時間を惜しんで、教科書を読んだ。レポートを書くため、関連の本をさがして図書館や本屋を動きまわった。日曜日毎に朝七時の電車でスクーリングに通った。福祉現場に二十四日間実習にも行った。

 そしてついにこの三月、私は大学を卒業する。この事を知ったある人が私に言った。
「すごいね、ようがんばらはったなあ。それで、これから何するの」私は返答できなかった。確かに四年大学卒の学歴ができ、社会福祉主事の資格が与えられる。しかし私は体のすみずみまで感じている、形だけ社会福祉学科を卒業するだけであることを。自分の社会福祉観も育ててこなかったし、世の中を本当に平等な眼で見られる心も養ってはいない。

 五年間まがりなりに知識は吸収した。一つの目標に向かって進んできた。しかしその間に私の眼は老眼が進み、特に暗い所では字がまるで見えない。白髪は急激に勢力を増し、十二時をまわって起きていることができなくなってきた。

 私は先日、県外から遊びに来てくれた友人と久しぶりに彦根城へ登った。暖かい日であちらこちらでカメラを携えた人たちが、天守閣や石垣や可わいいピンクや白の花を存分に咲かせた梅の木にレンズを向けていた。

 前から来るカップルに道を譲るため、片端に寄った私は、自分が踏みつけた桜の木の根に眼を落とした。太い根、細い根が上になり下になり乱れ合い、土や石とぶつかり合い、からみ合って地面にはいつくばっていた。私はしばらく根たちの戦いから眼が離せなかった。

 地上では、まっすぐ雄々しく伸びた幹から四方八方にしなやかな枝がゆったりと広がっている。しかし地上のすべての量よりも多くの根たちが地下にもぐり込んで地球に抱きついているのだろう。少しの空間を取り合いながら、くらやみの中で根はその生命を張りつめていく。桜の木だけでない、梅の木も松の木もひのきも、地下に地上以上のものを蓄えている。

 すべての植物にとって、根こそ命の源である。私はずっと前からこのことを知っている。けれど知っているだけで分かってはいなかった。それ故、私はこれまで自分の根を地面にはびこらせる努力を少しもしてこなかった。

 上へ伸びていくこと、他人の、外に見える結果だけにひかれてきた。壷井栄さんや住井すゑさんたちは、幼い頃より日々自分の根をじっくり育てていた。それ故、中年になって幹を太らせ、枝を広がらせ、花を咲かせた。

 駅のホームで若い母親を見て、いつか私もあのようになるのかと思ってから、四十年近く過ぎた。私の根は白く細くすぐに切れてしまいそうである。今からこの根を太くしていくのは無理だろうか。

 今からでも遅くはないと、私はまだ私を甘えさせている。七十、八十になってからでよい、何か一つ自分らしい花を咲かせることができるよう、根を育てていこう。

 それまで生きていられる保証はないのであるが……。


(評)
四十歳になって取得した資格にばく然と疑問をもち、今後の生き方を考えようとする態度に共鳴できる。生涯学習に取り組もうとする謙虚な姿勢で、自分の根を太らせたいと願う作者の健全な物の見方、考え方には好感がもてる。


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