入選 子育ての合間に

犬上郡甲良町 上野初子


 「ぼくの運動靴、ピカピカ光っていたよ」長男が小学一年の時、運動会の日の夕方、帰宅する私に大きな声で告げてくれた言葉。教員という仕事柄、結局我が子の運動会には、ほとんど行ってやれなかった。母親として、私がしてやれることといえば、新しい体操服と運動靴を準備すること、ささやかながらのお弁当を作ること、そして、そのお弁当には、精一杯の母としての思いを認めた、小さな手紙を添えること−。

 毎年運動会の一週間前にもなると、私は、こそこそと「準備」を始めたものだ。

 「廉(長男の名)君、今日はみんな運動会ですね。父ちゃんも母ちゃんも、あなたのハッスルしている姿を見に行きたいのだけど行けなくてごめんなさい。でも、父ちゃんも母ちゃんも、この広い、同じ空の下でがんばっているのです。だから、あなたも、けがをしないようにしっかりやってね。   母より」

 拙いながらにも心を込めて綴った手紙を読んで、母の気持ちを息子は少しはわかってくれたのだろうか。真白い運動靴が入場行進の時ピカピカ光っていた。と言ってくれた。それが何よりの拠となって、気弱になっていく私の心を支えてくれている。

 そんな調子で、入学式にも卒業式にも出席できず、母親としての役割は、ほとんど果たせていない。だから、もしも息子が親に反抗したり、良くない行動に走ったりしたら、全て私の責任、自分が悪かったのだ、家族のみんなに謝らなければ…とずっと思ってきた。子育ては、母親が中心となってしていかなければならないのに、それを半ば放棄していた状態であったので、当然のことかもしれない。でもそれゆえに、「どうか普通に大きくなって。立派な子だと言ってもらえなくてもいいから……」と、いつもいつも念じ続けてきたこと、紛れもない事実である。

 親としての私の気持ちを、神様や仏様は見離さずにいて下さったのか、おかげで、今のところ子ども達は、元気に大きくなっていてくれる。しかしながら、「カエルの子はカエル。」母親似で、人様の先頭に立つことはできないし、頭も大して良くはない。それでも、いつもおどおどしている私よりは、ちょっと増しなので、最近では逆に頼ることが多い。

 「母ちゃん、オレ、みそ汁作っといたでな」夕方私が仕事から帰ると、明るく声をかけてくれる長男。決してごちそうではなく、おせじにも「おいしい」とは言えないみそ汁だけど、息子の真心が籠っているようで、とてもうれしくなってくる。豆腐を采の目に切る方法、だれに教えてもらったん?みそ汁の具に麩を入れる事、自分で考えたん?いろいろと尋ねながら、どこか温かい食卓を囲むこのごろである。
「グラタン、ていうハイカラな物こしらえて食べさしてくれたワ」
姑も笑顔で誉めてやっくれる。
「このマーボー豆腐、なかなかうまい!」
夫も、息子の手料理は満更でもない、といった顔をする。おだてられて、ますますレパートリーを広げる長男である。最近では、中学生の弟にもえらそうに伝授して、兄弟二人で台所に立つこともしばしば。

 しかしながら、我家の生活は決して楽ではなく、また、家族の中のさまざまな人間関係をスムーズに保っている、ということに、嫁として自分自身、少し疲れてきた。そこで、息子達が潤滑油になっていてくれて、なんとか平安を保つことができているのである。

 ところが、長男は今年から大学生。普通ならば親元を離れてしまうものなので、恐る恐る尋ねてみることにした。
「おまえ、大学に入ったら下宿するんか?」
そう言ったら、息子は意外にも首を横に振り、
「オレがこの家を出てしまったら、かなりアブナイ。オレは、母ちゃんが心配やから、無理してでも家から大学に通う」
願っても無い返事。それ程まで、家のことを考えていてくれたとは……。「生意気なこと言って……」とイヤミを言ってしまったけれど、内心ありがたさで胸が一杯になった。

 母親として、十分なことはしてやっていないけれど、いつの日も自分の甲斐性なりに、子どもと共に歩んできたつもりである。
「子育てに失敗は許されない」ということは、誰もが承知のことだろう。でも、一番大事だと思うことは、親として納得しながら、その時その時を懸命に子どもに接してゆくことではないだろうか。そして、もし失敗したと気づいたら、その時が新しい第一歩である。周りの人達は、貶すことなく、その人が親としての第二歩第三歩と進んで行けるように支援すべきだと思う。

 十八歳になったばかりの長男は、台所でトマトを切りながら、ポツリと言った。
「母ちゃん、オレにできることがあったら何でも言ってな。母ちゃんが疲れてる時は、遠慮せんかていいんやで」

 どうか息子よ、今のこの言葉を忘れないでおくれ−心の中で、そう叫びながら、息子の横顔を思わず見返した私である。


(評)
子どもの成長期も続けて、外で働いている母親の、子どもに対して送るメッセージ。やさしく思いやりのある心が、子どもの中に確実に育っていく。まさに“子どもは宝”を実感できる幸せを大切にしたいものである。あなたの家族に声援を贈りたい。


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