特選 七万八千個のパック
小野町 小野和子
国道を折れると三叉路に信号が点滅している。夜中に雨が降ったらしく、道路が濡れ、点滅の明かりが条を引いて映っている。その先に門灯が見える。二人、三人と門を通り構内へ入るのは、食品センターへ早朝の五時から勤務する私たちだ。冬の明け方は舗装道路も凍るためか、出勤する百名余りの足音がたつ。
入口に日付と出荷数が記されてホワイトボードがかかっている。
「十二月三十日 七万八千パック」
一年中で一番忙しい日だ。ここから七十余の店舗へトラックが精肉の便を運ぶ。便は日に三度出て、一便、二便。ゼロ便と呼ばれる。
更衣室の簀の子が私たちの出入りでせわしなく鳴る。作業衣と長靴を着け、アルコール液が湛えられた、深さ三十センチばかりの槽を渡る。消毒済みの手が触れないように、肘で加工場の扉を開ける。天井の幾十もの蛍光灯に十三台あるスライサー機械が反射して眩しい。作業台を被う滅菌紙を剥ぐと消毒薬の匂いが広がる。滅菌紙は雨の日の前は水気を含んで重い。明日も雨だろうかと思う。
換気扇の音が小止みなく鳴る作業場に、始業時刻のBGMが流れると間もなくコンベヤーが作動する。コンベヤーベルトは原材料加工の屋内を一周し、コンテナを載せて軋りながら天井近くの出荷口へ吸われてゆく。スライサー機の刃の回る音。枝肉を捌く器具の音。それぞれの音は一つになって床を伝わり足下から這いのぼって体を打ち続けるように感じられる。
店で売られるパックに精肉を盛り付ける作業の台一脚に六名がつく。おのおのの秤のわきには向かいの人の顔が見えないほどにトレーが積まれている。スライスされたばかりの、アルミ皿の上の精肉は、まだ酸化せず濃い赤紫色だ。十五分も経つと赤く発色する。アルミ皿には牛の生育地を示す「近江」や「豪州」と印されたカードが付けられてくる。部位には、リブロース、肩ロース、肩バラ、モモ、ウデなどがあるが、勤めて三月ばかりは見間違えたものだ。
私は豚のバラ肉の百八十グラム入りの盛り付けが好きだ。これだと百パックを四十分で詰め終えることができる。
「肉は縮むでな、トレーの端より五ミリ分そとへ引っ張って盛り付けるんや」
と習った。
「肉のはしを薬指で上へはねて折り込みや。下へまわすと、真ん中がふくれてみっともない」
「バラ肉は一枚ずつ持つんやない。三枚持てるはずや」
と習っては試みているうちに、私は手が大きくなったような気がする。指の一本一本が別々に動くようになったと思う。
第一便の出荷時間の六時三十分が近づくと何度も時計を見てしまう。あと八分。あと四分。出荷時間前に詰めた十パックほどは雑な出来ではなかったかと心配になる。
朝食をとりに二階へ上がると、階段の踊り場の窓に昇ったばかり朝日が差している。食堂の食器の音は機械の音とは違い、真っ直ぐに耳に入ってくる。食事中は隣り合う人と話す。こよしさんが言う、
「蜆を浜で仕入れて行商に回ったんや。雨の日はつろうてなぁ。息子はおぼてへんやろうが、三つくらいやった。自転車の前から振り向いて、おかあちゃん、早う帰ろう言うてぐずるんや」
食事と休憩を入れてのそれからの五時間ばかりは盛り付けの速さが落ちるということはないが、午後二時を回ったころだろうか、向かいの壁がまわりから暗くなってきた。とても眠い。呪文を唱えよう。
「一切苦厄舎利子色」
「すもももももももものうち」
音が聞こえなくなった。手に何も持っていない。スライス片を落としたのかもしれない。
「残り一万三千、あと一万三千パック」
マネージャーの声だ。ハンドマイクを手に、マネージャーが作業台の間を回っているのが目の端にうつる。詰め終えていないのは豚のロースシャブとローススライスだけだからもう少しだ。値付けの正子さんが、
「みんながんばってやぁ、もうちょっとやさかい」
と言ってパックが積まれた八段カートを運んでゆく。精肉を切り終えたスライサー機をホースで洗う水音が聞こえる。
残り二十パックばかり。もう二パック。お互いに見回して最後のひとつふたつを詰める。
「精肉ゼロ便終了いたしました」
と放送が入る。私たちが一番嬉しい瞬間だ。床に響いてくる振動の速度が落ち、音を引いて軋るとコンベヤーは止まった。
みんなマスクをつけているので口元は見えないが、目もとで微笑んで顔を見交わした。
先ず題に興味をそそられる。現代の消費社会を支えるきびしい労働現場を改めて知らされる思いだ。ひたすら前向きに受けとめて働き続ける作者、仕事をやりとげた喜びを簡潔に表現されているのが、すがすがしく印象的だ。文字も美しく丁寧で表記も申し分ない。 |