<総 評> 
      冠句は庶民文芸の粹であり、その基調はお互い日常の起居の間人醸し出される叙情の万般を優雅に掬い上げる事が生命とされています。所で今年は冠題の罪でも有って応募の玉吟の多くが、万人の抱く理想像とか、人生修行の美談調と申す様な類例が多見された様でした。 
      然し何と申しても遂年数を重ねるに従い各部共応募数が増加する事は文芸振興上又市文芸作品参加の意義昴揚の為にも衷心よりお喜びを申し上げる次第であります。
     竹山吟月 
      
      本年度より、冠句部門も、応募数が三句に絞られ、ひょっとすると力の入った優等生的な句が増えるかと思いました。けれどもその影響は無く従来通りの多様な句に接することが出来ました。今後ともそれぞれの持味を活かして一双のご研鑽をお祈りしたいと思います。 
      さて、冠句三題のうち『影抱いて』については、やや手古摺り気味の感があり難しかった様です。付け句が、冠題の捕捉や説明になる事はよく注意されるところであります。わずかな字数を、有効に活かす短詩の世界ならではの事、もう一工夫欲しいと思う句もあって残念でした。但し、総体的にはレベルの著しい向上を実感しております。
     松山花兄 
      
      今年から三句となりましたが、たくさんの方々が、御応募下さいまして有り難うございました。私なりの選で、秀吟を見落としている事をお詫びします。 
      冠句は私達庶民の身近で、親しみやすい短詩でありますので、作句対象も無限にあります。詩友のみなさんも冠句の道にぜひお励み下さいますようお願いします。
     山脇千峰  | 
     
    
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