随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

武士(もものふ)の夢
大藪町 角 省三

 よく見ると、まだ使えそうなパソコンやワープロがある。オーディオセットに応接セット、それにエレクトーンまで出されている。

 かつて三種の神器と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機はもちろん目につく。天日で乾かすことしか知らない私にとって、ふとん包みの下から、大きなひとつ目の乾燥機がのぞいていることには全く驚かされる。

 四月から「家電リサイクル法」が施行され、廃棄するのにも費用がかかることになるという。だから、粗大ゴミ最終収集日の今朝、住宅団地の公園のフェンスに沿って並べられた廃棄物の量は、昨日の夕刻からこれまでにどんどんと増え続け、その界隈に一種異様な雰囲気を漂わせることになった。

 冬枯れの公園の立ち木に緑は無く、二月の寒気と朝もやに包まれて並べられた大量の品々は、色とりどりであり、妙に幻想的にも見えた。

 粗大ゴミとして認められた物品のみが正しく出されているかどうか、自治会のパトロールという役割を担い、その光景の中に立ち、雑多な家庭用品の中に、それぞれの家庭のそれぞれの事情について思いを巡らせてみる。

 小さな二段ベットは成長した子どもたちには不要になったものであろうし、バーベキューセットは、それほど使わないうちに錆(さび)がまわってしまったのであろうか。自転車が三台ほどあるのは、車を買ったことで必要がなくなったのかもしれない。

 高度成長経済がもたらした大量生産・大量消費の時代は、全ての生活者に中流家庭意識を持たせ、個人消費はふくらみ、余計なものまで買わせようとするコマーシャリズムが、それに拍車をかけたように思われる。

 海外旅行用スーツケースが見える。キャスターが一つ外れているようであるが、それほど使い込まれた様子も無く、茶褐色のそれは男女の差別なくまだ使えそうな気がする。

 しかし、信じたくはないが、「勿体ない」という言葉はすでに死語になっていると聞く。

 それは夏も終わりに近い頃であっただろうか。佐和山城址に登った日のことがふと頭の中に蘇ってきた。山頂の、彦根市街を眺められる木陰に看板が建っていて、それには、彦根八景の一つとして「武士(もものふ)の夢・佐和山」と楷書体で書かれていたように記憶する。他に人影も無く、蝉しぐれの中、その看板は何となくひっそりと淋しげに眺められたものである。

 戦国時代、天下統一を夢見た武将とそして戦士たちが見た夢、それは多くの武士(もののふ)にとっては果たし得なかったはかない夢でもあった。

 そして、昭和四十年代から五十年代にかけて、多くの企業戦士たちがいろんな形で夢見たに違いないマイホームと、その夢のために買い込まれた電化製品や家具調度品が、今、無惨にも捨てられ、あとかたもなく消え去ろうとしている。

 栄華の夢破れ、石垣の一つひとつまでも持ち去られ、そして消え失せたという佐和山城址、その夏草の中にもの憂げに建っていたあの立て札は、今私が居る粗大ゴミの山の前にそのまま持ってきても、少しも不似合いではないような気がして、思わず身震いさえ感じるのは朝の低温のせいだけではないと思う。

 そして、捨てられていく物の代償に、現代の武士(もののふ)たちが勝ち得たものは一体何であったのだろうか、と考えるとその思いは一層深いものとなる。

 その空しい思いを、石田三成公の夢に馳せてみる。豊臣秀吉の右腕として辣腕をふるった三成が、京都の六条河原で処刑されたのは四十一才であったという。能吏ではあったが剛将ではなかったとされる三成ではあったが、時代変化を読む目はあり、商業地近江の国は彼を「算用の才」のある「そろばん上手」として育てあげたらしい。従って、三成がそのまま活躍していれば「徳川幕府の鎖国政策に代わって、新たな貿易振興策をベースにした対外政策が進められた」※とも考えられる。

 古ボケた洋服ダンスの横に天体望遠鏡が立てかけてある。どちらの家の子どもが愛用していたのか、小学生の天体観測用のものであるらしい。その豆天文学者がレンズを通して眺めた宇宙には、きっとその子にしかわからない未来の夢があったに違いない。その子は、輝いて見えた星座に、かつて三成も見たであろうグローバルな平和社会を、何の猜疑心もなく覗き見したのかもしれない。

 今一度そうした無邪気な童心に帰って、この先のことなど考えてみたいものだ、と思いながらふと吾にかえると、ランドセルを背負った小学生たちが、並べられた粗大ゴミを横目で見やりながら、にこやかな表情で登校するところであった。

 朝もやは少し晴れて、公園には太陽の光が差し込んできていた。

 ※印
 小和田哲夫著「石田三成」PHP新書P202より参照


( 評 )
佐和山城址(または石田三成)と、多量の粗大ゴミの山との思いがうまくつながっていない。自治会パトロール員としての視点を前面に出し、家電リサイクル法施行直前の状況を綴った方が現代社会へのより鋭い批評になったのではないかと思う。

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