随筆・評論 市民文芸作品入選集
特 選

合わせ鏡
小野町 小野 和子

 入口の自動ドアに街のネオンが映っている。

 客足の引いた店内は、天井の白色灯がリノリウムの床にはえて眩しい。BGMが閉店を告げる『蛍の光』にかわった。あともう一箇所の化粧室の清掃を済まさなければならない。パートの清掃婦として働く午後三時から夜八時までの五時間は、私の好きな時間だ。店内の十八箇所の化粧室を日毎担当する。

 最初に鏡を磨く。グランス液を噴霧し、縦横に拭く。次に個室のタイル張りの床をモップで磨くが、今夜は目地から湿り気が滲み出て来る。こういう夜はたいてい雨になる。モップの房を取り替えてもう一度拭く。

 掃除用具を台車におさめ、消灯された売場を収納庫へ戻りながら、うちへ帰るとまず洗う夫のポータブルトイレのことを思う。ポータブルの容器を清めてから、夫に声をかけるのが常だ。

 三年前だった。出勤する夫が靴に足を置き

「履けない」

と言って下段から三和土へ滑り落ちた。その日のことは度々思い出す。初診受付で問診票の各項目を記しながら、私は夫の症状にそれまで気付かなかったことを悔いた。受信を指示された神経内科の診察室の床には、白いテープが直線に貼られていた。線上を歩くよう促されると、夫の上体は左右へ揺れ、テープをたどれなかった。

 検査を重ねた一箇月後の診察日に主治医は透視写真を示し、私に告げた。

「脳のこの部分が萎縮しています」

進行脳の病気だが、伝い歩きができた昨年中は、門口の石に腰を掛けて通りを眺めていたものだ。勤務から帰る私を格子に掴まって待っていた日もあった。

 台車を収納庫へと戻し、着替えて業務用出口に立つと夜気が頬に快い。二月半ばを過ぎてから道路のアスファルトは凍らなくなった。自転車の発電器が車輪に擦れて鳴る。仕事の休み時間に貰った菓子の袋が前の籠で向かい風に煽られる。この菓子を楽しみに待っている夫の顔を思い、自転車を一散にこぐ。

 帰宅して夕食をとる私の傍らで彼は菓子を食べる。煎餅を一枚取り、口元へ運ぼうとするが、手首が震えてうまく口に入らない。すると彼は、手のひらで口へ押し込む。しばらくは噛む音だけが部屋に続く。

 表の道に行き交う車走音も間遠になった。路上に水を跳ねる音がしている。雨が降り始めたのだろうか。

 夜、寝る前に洗濯する。洗濯機が回る中で何かが槽に当たっている。作業着にペンを差したまま洗ってしまったらしい。仕事場の各化粧室の壁には時間表が貼ってある。私は上着の左腕のポケットからペンを抜いて、表に清掃済の時刻を記すとき、とても嬉しい。

 職場のショッピングセンターは、七年前田圃が埋め立てられて建った。電車の発車ベルが近々と聞こえる南彦根駅前にある。出勤の前に、嚥下しにくくなった夫が飲み込みやすいようにとろみを付けた食事を用意し、倒れても零れないコップに湯を満たす。食後の錠剤をフィルムケースに入れて置く。自分でケースを口に傾ければ錠剤は口の中へ入る。症状の進行を止めるという新薬を飲むようになってから、私が家を出る時も夫は眠っていることが多い。

 三月になって、ことさら雨の日が続く。頬を打つ雨が口に入る。ペダルにおく靴の裏が滑ってこぎにくい。

 ロッカーの把手のきわに伝言のメモが貼ってある。

 『創業祭の売出し中は一階の化粧室を二度巡回してください』

 売出し日の、駅前入り口の化粧室は、利用客が五分間に百人を超える。個室のトイレットペーパーがきれる前に二巡目の清掃をするには、各化粧室を十三分で清掃しなければならない。陶器を磨く酸性クリーナーを慌てて散布したら目に染みた。

 この一時間ばかりは清掃以外の事を忘れて働いた。洗剤、グランス液、黒ビニール袋、モップの房の有無を台車に確認する。仕事があがるまであと一時間半だ。寝具売場の奥の化粧室は、使用する客が少ない。客の居ない鏡の端に立つと、壁面全体に嵌め込まれた五メートルほどの大鏡に、縞の作業着の私が鏡の中心へと、放物線上に幾十も連なって映っている。うしろの壁一面の大鏡にも、鏡の奥へと私の背中が連なっている。姿は順番に暗く小さくなり、三十個ほど映っていた。二面分で六十余の私に見送られ、あと六箇所の化粧室の清掃に向かう。

 私はモップの柄を握りなおした。


( 評 )
労働の現場を鋭い感性の刃で切り取り、そのショットの間に、妻の帰りを家で待つ病の夫の姿を挟み込むことによって、短編映画を見ているような緊張感を生み出した一編である。しかも、それぞれの場面がまぎれもない現実であるだけに、作品の重みを与える。パートの清掃婦として働く五時間を「私の好きな時間」と書ききる筆者の生き方に感動する。

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