詩 市民文芸作品入選集
特 選

花見
南川瀬町 谷 敏子

彦根城に桜の花が咲くと
男は年に一度必ず花見に連れていってくれという
身体が不自由になって
すっかり外出嫌いになっているのだが
満開に咲く桜の花を見ていると
心が洗われる気がするという
年々 花見客の増える中を
車椅子にのせ歩くと
密かに袖引合う夫婦連れ
好奇心のままに振り返る子供達

−いつでも終わりにしてくれていいよ−
長い闘病のあいだに
男は一度だけそういった
堀の中には 仲睦じく白鳥が毛づくろいをして
いた

古稀を迎えた
男の歩いた道は
親の築いたものを全てなくし
妻子を悲しませ
桜の花の満開の頃
両親を相次いで黄泉に送った

半世紀近くの悔恨の重さが
まだ ぬぐいきれず
車椅子の轍がキシキシと
その軌跡を描いていた
男の涙のように降りしきる桜吹雪の中を
黙って車椅子を押した

男はポツリ
−来年は 夜桜がいヽネ−


( 評 )
車椅子の軌跡が、男とその妻の人生の屈折を想像させた。堀の仲睦ましい白鳥、点景が利いている。−来年は 夜桜がいヽネ−、結び一行は、他者の胸にも希望の雪洞を灯すだろう。

もどる