玉ずさ 夏は夜中に露が降りる。 サンダル履きの足の甲に川土手に生える狗尾草の露が触れて冷たい。土手は畷の途中から西台とよばれる山懐へ迂回する。山裾の流れは狭くなり、川面が夜目にほのかに照り返している。 夜半前に上弦の月は没したが、余光のためか一町ほども先まで見通せて、土手沿いの野茨の木の影が近くなってきた。 この木に烏瓜の蔓が巻きのぼり、七月に入ってからは毎夜蔓の節々に花が開く。烏瓜の花を初めて目にしたのは一年前だった。 三年余を病んでいた次男がその頃に、散歩に出かけるようになった。散歩は夜に限られたので、表の戸が開くと、私は追いかけたものだ。 「ついて来なくていい」 振り返って言う次男の後ろ姿を見失わないように土手を辿った。 「これ、何?お母さん、これ見て」 彼が呼んだ。私は走り寄り、肩ごしに覗くと、烏瓜の面のひろい葉が黒く重なる上にレース編みのモチーフを置いたかと見紛う花が咲いていた。花の中心は五弁。五弁の白い花びらの先がそれぞれ十余すじの糸状に裂け、その真白の糸は蜘蛛の巣のように網目をなしてひろがり、花まわりは手のひらより大きい。台風が近づいている夜だったので、南風が強く、野茨の枝に遮られてはいるが、蔓が煽られ、花のレース状の糸が切れて傷んだ。 その次の夜から彼と連れ立って土手へ通った。花は夜八時頃咲き、午前三時に閉じる。 蕾が夕方になると膨らみ、真ん中から五方に割れ始め、割れ目から泡のような白い糸が盛り上がってくる。そして風に揺らぐ度に円周をひろげてゆく。 八月には茎に互生する葉が堤の斜面を覆い花が盛りを迎える。一晩に三百余を数えたことがあった。花の多い夜は蛾が群れる。花よりひと回り大きな茶色の蛾が羽を震わせ、十センチもある口吻で蜜を吸う様は、花のあえかな様とあいまって見飽きることがない。 「これ雀蛾やて」 「烏瓜は雌雄異株なんや。夜行性の雀蛾が来て交配するんやて」 彼は話をするようになった。そして昼間も外へ出かけ始めた。 半月もすると、節の葉の陰に数珠玉くらいの黄緑色の実を見付けた。小さな実のどれにも放物線の縦縞模様がある。九月には実の色が濃い緑色になり、実は手のひらに包めないばかりに膨らむ。十月に入ると縦縞模様が薄くなり、朱色がかってくる。 秋が深まると共に色は朱を深め、やがて極まった紅色になる。残された柿の実も落ち、紅葉も散ったところの、彩りがない山ふところで、雑木の梢高く点々と結ぶ烏瓜は、日に映えて一際目立つ。 「はがれどき」と言い慣わされるこの季節を、病気の症状を気遣い、本人も、わたしどもも、息を詰めて過ごしたが、彼と並び、烏瓜を仰ぐことが出来た。 十一月も半ばともなると、葉も巻きひげも乾び、縮れる。晒されて白くなった茎は、赤い実をつけたまま諸木の枝先から簾のように垂れて揺れる。 冬枯れた梢に懸かっている烏瓜の蔓は、干からびている筈なのに、年が変わる二箇月の間に地面へ向けて伸びてくる。蔓先は土に届くと、土の中へと尚伸びて、根を出すのだという。 幾度か雪を被く間に、実の紅は失せる。ほかに啄むものが乏しいのだろうか、鵯が来て実に穴をあける。種が落ち、実の中が空になる。 種の形が結び文に似ている。昔、手紙を梓の枝に結び、使いに持たせたという。その故事から、烏瓜を、たまあづさ、玉ずさとも名付けたと聞いた。 今年も土手を辿り、花を眺めようと歩をすすめる。草かげにもう地虫が鳴いている。 |