随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

天満宮の梅
馬場一丁目 宮川 礼子

 雨水を三日ばかり過ぎた日のこと。昨夜の雨がまだ土を湿らす曇った朝ではあったが、出掛けなければならない所用があったので、京都の北野天満宮まで足を延ばすことにした。
 菅原道真公を祀る天満宮は全国で一万二千社にのぼるが、太宰府天満宮と双璧をなすのが北野天満宮である。王城鎮護、学問の神としてあまりにも有名な天神様であるが、一人で京都の町を歩いたことのない私は、駅で手に入れた観光用の地図を片手に、京都駅から市バスに乗った。主な停留所が二条城と天満宮であるそのバスは、年配の男女で混みあい、私を含め数人が立たなければならなかった。
「あら、おたくは初めてですか。私は天満宮の梅苑が楽しみで、毎年見にいくんですよ」
 後ろの座席から、隣り合わせたらしい女性二人の話し声が聞こえてくる。考えてみれば、私は梅を観ることなど今まで殆どなかった。
 城の堀の廻りであれ、川の土手沿いであれ、こぞって人は桜を植えたがる。そして春の温かい風が冬枯れた茶色い地面を緑に変えた頃、一斉に咲き誇った桜を見上げればその向こうに青空がのぞく。桜はいつも華やかで美しい。
 だが梅には、その下で酒盛りをしたいと思わせる勢いはない。桜に先駆けること一月、その季節の違いからか、単に武骨な黒い幹のせいなのか。梅の淋しげな佇まいを脳裏に描いているうちに、バスは目的地に到着した。
 巨大な鳥居をくぐり、人の波に逆らわず歩いていくと楼門にさしかかる。更に奥へ進めば三光門が迎えてくれ、その青や緑を多用した彩色の豊かさに驚かされる。社殿でお参りをしたあと、待望の梅苑へ足を踏み入れた。
 梅の木それ自体はどれもまだ細く見惚れるような枝振りは無い。だがその数二千本。種類が多く、満開に近い樹もあれば硬い蕾だけの樹もあるが、紅梅白梅の可憐な花からの優しい薫りが辺りの空気を日常とは隔てたものに変え、いつしか私はその中に包まれていた。
  東風ふかばにほひおこせよ梅の花
  あるじなしとて春なわすれそ
 道真が右大臣にまでのぼりつめた後、突然の大宰府配流にあい自邸を去るときに庭の梅花をみて詠んだ歌であるが、なるほど、この「にほひ」のことであったのだ。
 道真はもともと儒者の家柄で、学問を好み、学者として大成した。が、学閥争いの渦中で讃岐国司の命が下る。本来ならここで彼は表舞台から消え去るはずだった。しかし任を終えて帰京すると、今度は政治家として宇多天皇による大抜擢を受ける。周囲の道真に対する嫉みは増大し、それを感じていた道真は、自分が右大臣に、藤原時平が左大臣に任じられた時、三度まで辞退したが許されなかった。やがて強力な後ろ盾であった宇多上皇が出家すると、彼の危惧はついに現実のものとなる。
 昌泰四年(九〇一)正月、時平と共に従二位に昇格した僅か半月後の二五日、道真は大宰権帥として左遷される。正に青天の霹靂である。醍醐天皇の弟で、道真の娘婿である斉世親王を天皇にしようとした「廃立」の罪であった。彼が真実謀議を企てたかどうかは諸説であるが、時平一派の策謀によるもので道真は無実であったというのが一般的な見方である。今となっては事実を知ることはできないが、突然の左遷の宣命、その後の事件の素早い処理から、時平らが周到に準備をしたうえで事に及び、決して道真に立ち直る隙を与えまいとした事は想像に難くない。道真は家族に別れを告げる暇も、弁明の機会さえ与えられず、二月一日、二人の幼子のみ連れて西下した。
 配所の大宰府での生活は、困窮を極めた。何より、そこには為すべき事が何もなかった。
 道真が別れの歌を詠んだ自邸の梅が、大宰府まで空を飛んできたという伝説がある。これは大変な忠心と誉めてやらねばなるまい。いや忠心と言うより健気である。しかし道真にとってはどうであったか。彼は旧知の梅を通して日毎夜毎に京を見、精力的に生きていた過去を見ざるを得なかっただろう。
  恩賜の御衣 今此こに在り
  棒持して 毎日余香を拝す
 道真は、思い出がいつか無味乾燥になるまで詩にして書きつづるしかなかった。
 そんな中、彼の唯一の慰めだった幼子が亡くなり、更に京都に残した妻が他界したとの悲報も襲い、心の支えを失った道真は延喜三年(九〇三)二月二十五日、五九歳の生涯を閉じる。病に命を奪われる事を、彼が諾と思ったか否と思ったか知る術もないが、梅の薫りに新たな幸せを刻むことなく、彼の時間は絶望の淵で止まってしまった。
 「すみません、写真撮っていただけますか」
 背後から声をかけてきたのは、同じバスで来た一人の若い女性だった。梅と一緒に写してほしいと言う。もしも道真も、ただ梅を愛でてさえいられれば、怨霊と化す運命から逃れられたかもしれない。紅梅の下でやさしく微笑む女性を、やるせない思いで見つめながら私は静かにシャッターを切った。
 
 参考文献
 
西日本人物誌編集委員会編集 「菅原道真」
   佐藤包晴著 西日本新聞社 平成十一年
日本歴史学会編集 日本歴史叢書(19)「天満宮」
   竹内秀雄著 吉川弘文館 昭和四三年
民衆宗教史叢書(4)「天神信仰」
   村山修一編 雄山閣出版 昭和五八年
日本の歴史(4)「貴族の栄華」
   鈴木泰二編 学研     一九七七年


( 評 )
  多くの観梅客の中で、筆者は道真公の生涯の変転を振り返り歴史の皮肉に思いを馳せている。道真公没後千百年にふさわしい作品で、よく研究され要領よくまとめられている。
 しかし、道真公への追慕の念と天満宮での観梅の印象が今少し分離しているように思われる。道真公の気持ちをもっと深く掘り下げてみることは出来なかっただろうか。

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