随筆・評論 市民文芸作品入選集
特 選

独身
高宮町 木村 泰崇

 あれは私が三十八歳位でまだ独身だった時のこと。ある所ではじめて会った四十過ぎの男性から「君は独身なの?」と尋ねられた。この頃の私はこの質問をされるのが一番辛かった。都会ならまだしも滋賀県の田舎の小さな町に暮らしているいいトシになりながらヒトリでいる者にとって、この質問は本当にまいってしまう。人間みんながみんな同じように生きる必要もないわけだし、今自分は別に不幸なわけでもないし、独身の一体どこが悪い?という具合に口を尖んがらせて言い返してみたくもなるが、やっぱり田舎の世間一般の常識、つまりは結婚してこそ一人前といった大前提の前に負い目を感じてしまい、首をすくめ小さくなってしまう。
 「まだひとりなんです」と、私は男性からの質問に〈まだ〉という言葉をつけ、恥ずかしさと情けなさを〈ひとり〉につけて返答したのだった。すると、男性はこう言ってきたのだった―
「いいね。うらやましい!」と。
 その時、その男性はまるで少年のような、ちょうど十六、七の少年がキャンプや修学旅行の夜なんかに好きな女の子の名前を言い合う時に見せるような、いたずらっぽい笑顔をした。その笑顔は言葉に嘘のないことを十分に伝えるものであった。
 男性は四十を過ぎていたがハンサムでスタイルもよかった。そして、以後その男性と接するようになり女性にすこぶる人気がある人だということを知った。そうかあ、この人、奥さんも三人の子供もいるのに、所帯じみてないし、カッコイイし、若々しいし、女性にもまだまだモテる現役だから、〈独身〉という言葉に対して〈いいね〉〈うらやましい!〉という言葉を反射的に返してしまうんだ、と私はしみじみと思うのだった。
 そして、私はさらに思った。自分もこれから先もし結婚したとしても、いいトシの独身者に対してこの男性のような接し方をしたいものだと。この男性のようになりたいものだと。
 それから、三年時は流れて、私は結婚した。もう三年時は流れて、今、妻のおなかの中には四ヵ月になる子供がいる。
 先日、ある酒宴の場で、かなり酔っ払っていた私は隣りの三十代の独身女性に向かって大口を叩いていた。「あのオノ・ヨーコなんて、確か四十でジョン・レノンと結婚して四十一で子供を産んで、それでも私の人生のプランとしては早かったと思ってるってインタビューで答えてて、俺ね、そのインタビュー番組を三十代の終わりの頃に見て、あれは勇気出たね、俺も世間に負けずにがんばろうって」と、私は次第に調子に乗ってきてしまい、あげくの果て「○○さん、あせることなんて全然ないよ。俺なんかね、四十一で結婚して、四十四で子供ができたんだから。人生をゆっくりと生きて行くの、ステキなことだよ。あせることない、あせることない」と○○さんだけでなくその場にいた全員に聞こえる大声で言い放ってしまっていた。
 当然のごとく翌日は自己嫌悪の極致。自分が○○さんに対してしたのはエールでもアドバイスでも何でもない、まさしくただの自分の自慢話じゃないか、結婚して、子供ができて、世間並になれたことに喜んで、その喜びの地点から○○さんを見下ろすような発言をして、自分はなんて醜い人間なんだろう。私は明らかに高みに立っていた。「いいね。うらやましい!」と私とまったくフラットな位置に立って少年のような笑顔を浮かべたあのあこがれの男性とはまさに月とスツポンだと思った。私はまったく嫌な男になり果てていた。独身者の気持ちが一番よくわかる人生を歩いてきていながら独身者の気持ちを察しない発言をしてしまった自分のデリカシーのなさが許せなかった。
 長く独身でいた自分は、普通、常識、世間体、田舎、村、家……など、自分のまわりをかしましく飛び交うさまざまな見えないルールに縛られたり、押し倒されたりしながら、それでも、それらと自分自身とを天秤にかける時ぶざまではあったが必ず自分自身の方を取る選択をしてきた。
 その見えないルールの対象外の、一応の〈普通〉にようやくなった今、ちょっとホッとしてしまっている自分がいる。今まで散々いじめられる側にいた者がようやくいじめる側に回れたような、そんな感じがしないでもない。
 でも、私は、今も、これから先もずっと、このふるさとの、田舎の、村の、家に住みながらも、不合理な世問体と常識にはできる限り抵抗して、カッコイイ生き方をしていきたいのだ。カッコイイおじさん、カッコイイおじいちゃんでいて、独身の若造には「いいね。うらやましい!」と自然に言える部分を失いたくないと痛切に思う。間違ってもいじめる側には回りたくない。


( 評 )
 結婚していない女性に対して思わず発してしまった「言葉」への自己嫌悪と反省の気持ちがうまくまとめられている。社会のルールを気にしないで生きてきたはずなのに、やはり縛られている自分を見つめる。
 手慣れた書きぶりが、かえって印象を薄める結果となっているが、お互いに心すべき事柄をテーマにしている。

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