勲章 小学校から高校まで同じ学校だった友人のひとりにA君という男の子がいた。 私は男子生徒の数が極端に少ない商業高校に通っていたから、小学校からずっと同じだという男友だちはけして多くはない。 とはいえ、私とA君の関係はその事実が示す限りであって、べつだん仲の良い友だちというわけでもなかった。 放課後や休日に何か行動を伴にしたという思い出もないし、中学高校と彼が何のクラブに所属していたのかすら知らない。 A君は成績においても体カ的な面においても特別に秀でた部分はなく、大人しく目立たない生徒だった。 彼は校則に違反してまでおしゃれに精を出すタイプではなかったし、特定のガールフレンドがいたという記憶もない。 私は内心そんなA君を馬鹿にしていた。 高校を卒業するときでさえ、私は彼がどういった進路につくのかすら知らなかった。 社会に出て数年たった頃、人づてにA君が家業を継いでいることを知った。 そして二十代の半ばにさしかかった頃、別の同窓生から、A君が所帯をもつにあたって家を出たことを聞いた。今思えば、その経緯には他人の知る由もない事情が包含されていたに違いないが、当時の私は単純にA君が結婚をするという事実に驚いた。 二十代の半ばだった私たち、少なくとも私の周囲の仲間たちには、結婚に対する実感はまだ露ほどもないばかりか、同年令の男友だちの結婚は祝いごとと言うよりも、ある種の事件だったからである。 それから三年ほど経った頃、私はA君とばったり再会した。 ある日曜日、スーパーマーケットでのことだったが、顔を合わせたのは実に高校卒業以来であった。 A君は「ようっ」と声を掛けながら私の肩を叩いた。私はすぐに彼だとわかったが、その気さくで堂々とした態度がほんの少し意外だった。 彼は赤ん坊を抱いていた。ピンクのフリルのついたベビー服だったので女の子だとわかった。 A君は長髪の私を見て「相変わらずやな」と笑った。 「おう、相変わらずや。子供できたんか」 「ふたり目や」 彼のうしろに、二歳くらいの女の子の手を引いた奥さんがいた。小柄で大人しそうな女性だった。 子供たちはA君と彼女によく似ていた。 「そうか。何かたいへんそうやな」 私が言うと、A君は 「まあな」 と笑いながら赤ん坊の頭を撫でた。 「お互いがんばろうや」 「ほな、またな」 私たちが交わした言葉はそれだけだった。 奥さんは終始控えめな笑顔で私たちを見つめていた。 A君は高校時代とさほど変わらない風体ではあったが、私は彼のトレーナーについた染みが気になってしかたなかった。何か調味料のようなものなのだろう、左胸あたりと腹の真ん中に点々とついていた。 相変わらず不精なところがあるな、とも思ったし、彼のくたびれたトレーナーがそのまま彼の生活の疲れを表しているような気がして、私は同情にも似た感情を抱いた。 しかしその出会いも、たまたま旧い知り合いと再会したというだけにとどまり、いつしかその記憶も薄れていった。 私は数年前三十代半ばでようやく結婚の縁を授かり、翌年男の子の父となった。そしてその後一年半あまりで女の子が生まれた。 現在長男は二歳四ヵ月、長女は八ヵ月である。 子供中心の生活にも少し慣れた程度に過ぎないが、変わったのは生活習慣ばかりではなく、私自身のすべての価値観やものの見方考え方、ちょっとした言動まで変わったように思う。 それまでの私は、所帯をもつということも子供を育てるということも、世の中というものでさえも理屈を固めることで分かったような気になっていた。 子供たちが私の一知半解をたしなめてくれたのである。 あの再会以来A君とは会っていない。 しかし、今だからこそ、あのときのA君と彼の家族の顔をしみじみと思い返すことができる。彼も奥さんも、生まれたばかりの赤ん坊でさえもその顔は生き生きと輝いていた。 口のまわりにケチャップの髭を生やした長男に抱きつかれながら、私は今、A君のトレーナーの染みを思い返す。 あれは私よりも十年も前に生活という海に漕ぎだした彼の勲章だったのである。 私の結婚はけして早くはないから、すでに多くの級友はすでに結婚をして、あるいは子供を育てているのだろう。 私は今、かつての同級生たちに、改めて愛しさと尊敬の念を抱いている。 そして、その思いはまわりにいるすべての人々にも通じることを識る。 三十代も終わりに近づき、私にもようやく世の中が見えてきたような気がする。 |