詩 市民文芸作品入選集
特 選

一人の旅
大藪町 西野 みどり

五月の連休明け 世の中が日常に戻って
そっと私が抜けても誰も気づかない頃
私は一人の旅にあこがれる

体温と外気温の差がなく
息づかいは初夏の風に溶けこんで
物思いも重複して心が沈む
立ち止まれば鬱になるのを恐れて
歌を歌い絵を描き誰かを愛しても
見失った私は見つからない
やさしかった人たちに会えない
あたたかい涙があふれない

ひんやりと堅い旅の鞄に
ふるぼけた母のショールと
止まったままの父の時計を詰める
綿密に立てた旅程は心を放つための偽装
誰も知らぬ誰にも知られぬ一人の旅
見知らぬ街に目をみはりながら
たっぷりとある一人の時間に
無為に延ばした飛距離を遡り
明日を信じて眠った幼子の夢の中まで
やさしい子守歌を聞きにいく
私が小さな子供であったとき
何も知らず何も恐れず疑わず
世界は美しいと思っていたではないか

たがわぬ浮上位置に旅は終わる
我に還ると すでに六月に季は移り
一人の旅に変形した心を梅雨の雨に浸す
ほとびて柔らかになった部分に
懐かしい者たちが密やかに動く気配
迷いも後悔もリセット出来なかったが
傾いだ心の基軸を担って立て直そう
見なれた景色がかすかに違う
ゆっくり立ち止まって空を見あげる


( 評 )
  旅に出ることによって「私」が再生されて行く様子が良く書かれている。静かな語り口の中に、長い日々に蓄積された澱のようなものが旅によって少しづつ洗われて行く様子が窺える。とても完成度の高い作品だが、欲を言えば、前半、後半を少し整理して、旅の中で出会ったものについてもう少し表現されるとよかった。

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