市民文芸作品入選集
短歌
木村 光子 小西 久二郎 島野 達也 :選


特選
犬上郡甲良町   村岸 千鶴子
大津市   石川 麻子
後三条町   綾木 昭子
 
入選
東近江市   小林 清次郎
池州町   北村 やゑ
松原町   北川 満代
蓮台寺町   塚田 壯一朗
正法寺町   髙井 豊
長浜市   木村 諄子
 
佳作
芹橋二丁目   伊藤 正子
出路町   滝 ふみゑ
栄町二丁目   長谷川 紀子
鳥居本町   岩根 敏子
堀町   河分 武士
近江八幡市   出口 庄次
稲枝町   山本 正雄
八坂町   麓 佳代子
本庄町   田口 洋子
長浜市   藤居 睦美
犬上郡多賀町   木村 正子
堀町   小島 弘子
米原市   吉川 眞澄
本庄町   田口 敏子
長浜市   鳥塚 とし代
平田町   猪村 幸夫
大薮町   寺田 すゑ子
古沢町   野洌 令子
極楽寺町   古川 寛二
長浜市   東山 啓子
古沢町   大橋 靜
後三条町   西山 きよ子
日夏町   寺村 享子
近江八幡市   大橋 信夫
南三ツ谷町   冨江 美枝子
米原市   成宮 建男
米原市   松村 武温
日夏町   石原 不二子
 
<総評>

 応募者の総数は六十九名。それぞれの作品は、ひとりひとりの心を濾過して生まれた一首と思えば、選歌には、自ずからある種の緊張感の持続が求められます。
 しかし、作品を読みすすむ内に「感動の核は何なのだろう」「何を伝えたいのだろう」「作者の独自性、生の感性が伝わってくるか」「思いに添う言葉が選べているか」など基本的な疑問に突き当たることが多いのです。
 具体的には、〈どこかで読んだような〉〈使い古された言葉の羅列〉〈記事を転記したのか、の報告歌〉〈清書、出詠の前に辞書で確認されたか〉などなどです。つまるところは〈現代を生きるわたしの歌〉に立ち上げることができたかどうか、が問われるのです。
 要は、普段の生活で実行している《よく見、よく聞き、感じる心》を、今以上に大事にすること、《優れた作品を鑑賞する》、ここに尽きるようです。

(木村 光子)
 

 最近特に多い素材は東北大震災の地震、津波、原発の被害状況や被害に対する悲哀などを詠んだものである。ところが、それらはテレビや新聞の域を脱け出ていない作品の多いことである。つまり、どれも似たり寄ったりのもので、説明や記録に流れている。いわゆる作者の存在感がないのである。被災の現場を見聞したなかから、作者の発見があるとか、
作者の生活とのかかわりがあるといったものが必要である。そうした状況を踏まえて始めて自己の作品となるのである。
 素材はいろいろ異なるとはいえ、作者独自の発想と表現によって本ものの作品となる。短歌は「なにを」、「いかに」というポイントを充分心得て、作歌にのぞんでほしい。こうした意味で本年度の応募作品のレベルは、高いと言い得なかったのは残念である。

(小西 久二郎)
 

 残念ながら、応募者も応募歌数も、前年を下回った。同時によい作品も減ったような気がする。題材はよく出てくる孫の歌が三十八首、家族・老いの歌がそれぞれ二十五首、病気の歌五首、花など植物の歌十九首、動物九首であったが、応募期間が東日本大震災に当たったこともあって、震災関係が二十六首にのぼったが、テレビ、マスコミを通しての立場からの歌でなかなか人を感動させることは難しい。そのような中で、自分史、遺伝子、MRI、地球、オメガのマークを詠ったものがあったし、「トイレの神様」「おくりびと」は時代の反映であろう。昨年亡くなった「裕子さん」の歌があったのは嬉しかった。
 歌は音の響きが大切だが、視覚的な面の効果を忘れてはいけない。漢字で表記すればよかったのにと思う箇所が二、三あり、気になった。

(島野 達也)


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