市民文芸作品入選集
短歌
木村 光子 小西 久二郎 島野 達也 :選


特選
犬上郡甲良町   上田 八重子
米原市   川 眞澄
長浜市   木村 諄子
 
入選
堀町   河分 武士
正法寺町   髙井 豊
米原市   松村 武温
西今町   久永 朝子
日夏町   寺村 享子
小野町   小野 和子
 
佳作
東近江市   小林 清次郎
芹橋二丁目   伊藤 正子
中薮町   山川 美江
鳥居本町   千葉 繁
本庄町   田口 敏子
稲枝町   山本 正雄
長浜市   勝木 岩松
本庄町   田口 洋子
本町一丁目   宇田 良子
犬上郡甲良町   上野 初子
犬上郡甲良町   村岸 千鶴子
犬上郡多賀町   木村 正子
西今町   江畑 孝子
米原市   伊藤 尚典
彦富町   池田 光雄
外町   知田 照子
芹橋二丁目   古池 陽彦
長曽根南町   日々野 美鈴
普光寺町   寺田 源三
米原市   成宮 建男
開出今町   掛田 洋子
南三ツ谷町   冨江 美枝子
長浜市   奥長 輝久乃
東近江市   古澤 貞子
長浜市   山田 静子
大藪町   寺田 すゑ子
近江八幡市    孝
近江八幡市   出口 庄次
長浜市   柴田 弥藏
馬場二丁目   清水 はる
長浜市   樋口 満智子
犬上郡甲良町   村西 くに子
古沢町   大橋 
東近江市   田附 孝子
 
<総評>

 投稿歌二五〇首に対う時 何にも束縛を受けない自由な心であるか、自らに問いつつの選歌でした。
 選歌は同時に、作歌の時にもあてはまることです。作品の構成や立ち上げ、言い回しに、どこかで読んだ記憶に重なる作品が散見されたことです。ここに至って、創作という根本に立ち戻らねばなりません。「ああ」という感動の源に戻らねばなりません。万人に万の感動、二つとして同じ筈がありません。ひとりひとりの感動に相応う表現、「言葉の森の言葉さがしの始め」です。到達点の無い大仕事でもあります。であればこそ、意欲や気持ちが掻き立てられるのです。私だけの短歌のための前途洋洋へ更なる次の一歩を期待します。

(木村 光子)
 

 現在どの結社でも歌人会も短歌人口は下降の一途をたどっている。そんな中で若干でも増えるのはうれしいことである。さて作品の質はというとそう高いとはいえない。その理由は自己不在の作品の多いことである。叙景歌にしても社会詠にしても独自性が欲しい。書画においても個性が重要視される。他人のための歌ではない。自らの生の証としての作品である。一首といえどもおろそかにはできない。読者を意識しているような作品もよくない。「事実」ではなく「真実」の把握である。その辺の誤解もあるだろう。目下高齢者が大半を占める短歌においては、惰性に流されて作歌されるのが一番よくない。やはり、つねに真剣にとりくむという信念を忘れては佳作は出来ない。厳しいことを言うのも歌を愛するゆえでおゆるし願いたい。

(小西 久二郎)
 

 今年は僅かながらも、応募作品数が増えたのは嬉しい。また、作の質もやや向上しているよう思われた。高齢者の歌が多いのは、現代の特徴だが、若者の若者らしい歌が見られないのは残念である。
 歌は三十一文字の詩であり、散文ではない。もろもろを描くのではなく、一点を捉える。長時間ではなく、一瞬を捉えた表現がインパクトを持つ。歌は最初に設計図があって作り上げて行くものではない。出来上がった一首を眺めてみよう。無駄な言葉に気がつくだろう。切り捨てという過程を経て、始めて短歌という形式は輝き始める。これは繰り返し言われていることである。二五〇首拝見して改めてそう思う。

(島野 達也)


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