風(泉さんによせて)
彼は白いワゴン車に乗っていた
青年と云うには少し老けていたが
Gパンにスニーカーを履いていた
それは働くのに都合が良いと云うだけで
何の主張もないように見えた
でも その動きは軽やかで表情は軟らかく
言葉は少なかったが親切であった
フランチャイズの店から店へ
メールを届けるのが彼の仕事だった
裏口から入る店のバックヤードは
その日の客の流れによって
静かであったり喧噪をきわめていたり
しかし彼は何時も微笑をうかべ
黙々と任務を果し
注文やクレームには誠実に対処した
彼の名前さえ知らなかった
風のように入って来て去って行く
彼に家があり家族があるとか
友達がいて約束があるとか
そんな想像を駆り立てるものはなかった
まるでワゴン車に棲みその仕事のために
生きているように見えた
ある日
その白いワゴン車に大型トラックが
センターラインを超えて突っ込んだ
その瞬間 彼は何を思っただろう
きっと しまったとか 残念とか
思わなかったにちがいない
ハンドルをかるく握りなおして
草食動物が死ぬときのように
しずかに目を閉じたと思う
彼は何時だって
なにも引きずっていなかった
今の今を
軽やかなステップで駆抜けて行った
彼を引留めるために何が出来たろうか
そうだ あの日ちょっと待たせて
彼のルートの通過時間を二秒ほど
狂わせてやればよかった
彼とほんの少ししか接点のない私が
その死を聞いたとき涙がにじんだ
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