随筆・評論 市民文芸作品入選集
 特 選 

生涯の悔恨
平田町 鎌田淡紅郎

 毎年八月に入ると、テレビで東北四大祭として、弘前市のねぶたが放映される。巨大な人形ねぶたには、独特の筆さばきの大きい目と太い眉の影武者が目をひく。太鼓や鉦に合わせて、掛声と共に踊り歩く浴衣姿の男女の様子は、祭の華麗さを盛りあげている。

 私は、若いころ弘前市にごく近い秋田市に住んでいたが、このねぶた祭に心をひかれながら、どうしても出かけることができなかった。今でも、深い負目から出かけられないでいる。

 小野上等兵は弘前の出身であった。学徒動員の同年兵で、ルソン島では、文字どおり素肌を接し合ってねた、もっとも近い戦友であった。

 太平洋戦争が終わる年の八月のある日、私は小さな洞で横になっていた。頭上の台地では、一晩中続いた迫撃砲の砲撃が、明け方になってぴたっと止んだ。うつらうつらしていたが、入口で人の気配に気がついた。かすかに差し込んでくる朝の光を背にして、小野が立っていた。右手に小銃を支え、左手で腹をおさえてうずくまるようにしている。一晩中歩哨に出ていたが、腹がしくしく痛んできたので、早く交代してきたという。私はともかく横になるように言った。転げまわるような激しい痛みではないようだ。

 すっかり明るくなってから、私はお粥を煮た。この後は手に入りそうもないなけなしの米であった。飯ごうの蓋と中蓋に分けたが、小野は残さずおいしそうに食べた。東北の人らしく何時も口数は少ないが、この時も食べ終っても何も言わない。痛みは治ったようだ。

 私はこれから芋探しに行くから、昼は残りのお粥を食べるように言いのこして、少し離れている他の仲間の天幕に出かけた。小野の歩哨交代を報告しておかなければいけない。

 ルソン島の戦は、この年の一月リンガエン湾の地上戦が始って、もう半年以上たっていた。この間、追われ追われて移動を繰りかえし、やっと辿りついたのが北部山岳地帯中央のアキ山であった。

 移動の時、小野はすべての装具を失ない、やっと小銃だけをもって、仲間に追いついた。亜熱帯であっても、標高千メートルを超える山は、夜になると寒い。二人は、ちょうど山の斜面に大木が倒れて、岩盤の山に覆いかぶさっている所が格好の洞になっているのを見つけた。ここなら、もう雨期に入っているが雨の心配はない。岩盤の上に一枚の天幕をしき、毛の落ちた毛布一枚に尻を付き合わせてねた。同年兵のよしみであった。

 芋探しから戻り、夕食の粥を煮るため、飯ごうを手にして岩の下におりてはっとした。枯葉の上に血の混った粘液の便が散っている。アミーバ赤痢だ。移動する時、道端で赤くなった尻を出して倒れているのは多く見てきたが、仲間では初めての患者だ。

 その日の夕方も、小野は中蓋一杯のお粥を食べた。だが夜になると何度も毛布から抜け出して、岩の端から尻を突きだしていた。その音から、私は下痢が続いているのを知った。

 私は、一枚の毛布で肌を合わせながら、尻のあたりがむずむずする気味の悪さを感じていた。学生の時、生物実験でのぞいた顕微鏡の下で、身をくねらせながらゆっくり動きまわるアミーバの様子が、頭からはなれなかった。小野の尻から、身をくねらせながら私の尻に移っているような感じだ。

 二・三日は、便に立つとズボンを上げ下げしていたが、その後は抜ぎすててしまった。そして、口にするお粥の量も次第に減った。夜中に骨張った小野の足にふれると、生きている人間のものとは思えないほど冷たかった。二人はもう裸足の兵士になっているため、その冷たさにはこちらも引き込まれていくようであった。こうして十日ほど過ぎた。

 その日は、夕方お粥を二口か三口食べただけで、あとは手をつけようとしなっかた。その日から光が失われていた。明朝目をさましたら、毛布の中で死体と一緒にねているのではないかと思い、私は木の上の方に移った。何を言っても慰めにもならないと自分に言いきかせながら、黙ってそこからでた。

 翌朝やはり小野は息が絶えていた。同じ木の上の方にいた小杉一等兵は、夜中に何度も私の名前を呼んでいるのをきいたという。何を言い残したかったのであろうか。

 遺体は、近くに穴を掘って埋めた。雨と涙でぐしゃぐしゃになりながら、もし生きて帰ることができたら、必ず迎えにくるからと誓いながら土をかけた。

 迫撃砲の射撃がぴたっと止まったのは、死から二・三日後のことであった。

 ねぶたには、精霊送りの要素もある。私は戦友のいまわの一言もきけず、誓いも果していない。武者人形の目、太鼓の響、それは私の罪の意識をかきたてる。でも、それは一生持ち続けなければいけないのであろう。


( 評 )
「ねぶた」の祭に出かけられないという、筆者の引きずっている重いものが伝わる。戦友のいまわの時、傍らに居なかったことを今も悔やみ続ける魂の存在することに、読むものは救いを感じる。

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