詩 市民文芸作品入選集
 特 選 

老人が ひとり
西今町 谷口明美

雪が路面を薄く塗った朝
行き詰まりの脇道から
きょうも 老人がひとり歩いてくる
開いた逆さ「ハ」の字の靴跡を残して……

斜(はす)に握りしめた小さな皮手提げ
長年日焼けてきたらしい丸く上がった額
力惜しみなく働き続けたであろう足腰
すれ違っても視線をくれず
見るともなく先方をみつめ
おぼつかなくなりつつある足取りで
老人は 歩いていく
とぼとぼという切なさでなく
黙々といった重さもなく
息むでなく 急ぐでなく
「憩いの会館」に続くこの道を
蓄(たくわ)えた余力に任(まか)せるようにひたひたと……

手提(てさげ)の中身はおそらく一箱の煙草とライター
なにがしかの小遣銭入りの財布
会館にたどり着いた老人は
迷わずロビーの傍(かたわ)らに腰を下ろすだろう
いつものソファーの
いつもの位置に身を預けたとき
ようやく表情を和ませるだろう
取りだした一服の煙草を
さも旨そうに燻(くゆ)らせながら
はじめて だれかの顔をみるのだろう
一言かけられたら どんな顔で
どんな言葉を返すのだろうか
そして あのこと・このことの
いつもの日課を終えた昼どき
老人は またひとり
満ちたりた顔つきでいつもの道を帰るのだ
行き交う人には目も振らず……
 温かな部屋が待っているだろうか
 迎えいれてくれる家族がいるのだろう
その先に……


( 評 )
現社会の一端を見る思いのする詩である。第三者である作者の乾いた目そして憶測が、なおさら孤独な老人を浮き上がらせる。ゆきとどき手なれた手法からくる作品と思う。

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