随筆・評論 市民文芸作品入選集
 入 選 

萌子
大藪町 角省三

「オトーさん、今どこに居るの?」

 自分の父親のことをパパと呼び、本来ならおじいちゃんと呼ばれてもしようがない私のことを、三歳の彼女は「オトーさん」と呼んでくれる。

「おーい」

という返事が終わるか終わらないうちに

「ねーねどこに居るの?」

「お二階で何してるの?」

と矢継ぎ早に質問を発しながら、トントンと上手に階段を上っては私の部屋にやって来る。

 出産のために大きなおなかを抱えて帰省した娘に連れられてやってきた萌子は、その後三ヶ月にわたって、静かであった我が家に思いがけない旋風を巻き起こしてくれた。

 萌子の動きはとにかく活発なのである。リビングのソファーから低いテーブルに、ひょいと身軽にとびはねて渡り、ソファーの方へ戻る時は身体ごと丸くなって飛び込んでいく。私のヒザの中へぶつかってくる時も、受け身になって上手に受けないと、こちらの方もかなり危険な状態となる。

 その動きは、単にじゃれ遊んでいるというよりは、体育会系の何かの競技の基本動作を、気合いを入れてやっているのか、とさえ感じさせる程ダイナミックなのである。

 これまでは、お盆休みとお正月で短期滞在であったのが、今回は長期滞在で、私と妻とが良い遊び相手になってくれることに気をよくしてか、四〜五日も経過すると彼女の動きはますます激しくなり、目を離しているうちに止めてある自転車によじ登り、短い腕を伸ばしてハンドルをつかもうとしていたりする。テレビを見ている祖父が座っている回転椅子の背もたれをつかまれて、その椅子をくるくると廻されて驚かされたりもしている。

 これは困ったことになりそうだと気づき、少し情操教育をして、女の子らしさを身につけさせてやることがオトーさんの役目ではなかろうかと考えついた日、萌子と一緒にペットショップに出向いて金魚を買ってきた。

 五匹買ってきた金魚が二日後に二匹に減ってしまったのを見て、「可哀そうやねー」「ねー、どうして金魚は死んでしまったのー?」などと、一応は三歳の女の子らしい悲しみの表情を見せたのだが、その感情を持ち越すことはなく、後はケロッとしている。

 一緒に近くの公園に行く。ブランコやスベリ台より先に、無理やり草の中へ連れて行き、クローバーの白い花を探したり、小さな黄色い花の美しさを教えてやろうとした。小さな蝶々もヒラヒラと飛んでいたし、草の中からはバッタが飛び出してきたりして、テレビや絵本の中の世界が自分の手のとどくところにあることを、それなりに実感してくれたのではなかろうかと秘かに喜んだものである。

 ところが、家に帰って、ママや妻に話している報告をそれとなく聞いていると、ブランコに片足をかけて自分でうまく始動できるようになったことを、さも自慢げに話している。蝶々や黄色い花は彼女の印象からは消えているらしく、バッタが飛び出したことを思い出す前に、どうやらフリーザーに未だ残っているに違いないアイスクリームのことで、彼女の小さい頭の中は一杯であったらしい。

 近くの公園では物足りなくなった萌子が、荒神山のふもとの大きな公園で一番喜んだのは、ロープに結わえられてできたゆらゆらと揺れる架け橋であった。松原水泳場では打ち寄せる波に大声をあげ、弁当を持って出掛けたブルーメの丘では、ポニーの背中にまたがって悠然としていた萌子。彼女の関心事はどうやらオトーさんの思惑をはるかに越えたところにあり、その行動を規制することに意味があるのかどうか、思い悩める日は続いた。

 萌子に妹が生まれた日、その悩みは一気に吹きとんでしまった。

 萌子は病院のママのそばの赤ん坊に近寄り、まだピクピクと動く小さな頭をそれは優しくなでなでをしてみせて、私達を大いに驚かせてくれたのである。「おねえさんになるのね」と言われ続けた周りの期待に見事に応え、

「あーかちゃん」

などと可愛く赤ん坊に呼びかけては、お姉さん振りを発揮してくれたのである。

 それは同時に萌子が女の子であることを立派に見せてくれた瞬間であったように思う。

 そして次の日、東京から赤ん坊を見に来たパパと久しぶりに対面した彼女の表情は、さらに生き生きとして喜びに輝いていたと思う。

 赤ん坊が生まれたことを自分からも報告しようとしてパパの腰に手を廻して甘えている萌子を見た時、それは、オトーさんの出番がまるでないことを宣告された一瞬でもあった。

 残された二匹の金魚を眺めながら、暑い日の続いた去年の夏の日々を思い、二人の孫のための平和な日々を祈らずにはおれない。


( 評 )
孫娘「萌子」の明るく元気な素振りと、それを見つめる祖父(オトーさん)の暖かな視線が好ましい。情熱あふれる一文ではあるが、その中に萌子が身につけて行ってほしいものへの願いもよみとる。文章表記完璧。

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