はばかり
実家の弟から電話があり、「母が転んで痛がっているから、一度見に来てほしい」と言ってきたのは、三月に入ってもなお白いものがちらつく日のことであった。車のタイヤがスノータイヤに替えていなかった私は、吹雪のように荒れ狂ったかと思うと、パァッと明るく陽ざしが射し込むといった天候の中、道中の雪を案じつつ車を走らせた。
母は青白い顔をしてベッドに寝ていたが、私を見て「よく来てくれたね」と嬉しそうな声を出した。そこまではよかったが、問題はトイレである。九十一歳の年齢に加えて物忘れがひどく痴呆がかってきている母に、私はいつもトイレと食事は自分でやるようにと、やかましいくらい言ってきた。母も粗相をしたらと、精一杯の緊張が絶えず生理的、精神的に尿意を催すらしく、暇があるとトイレへ行くのを仕事のようにしていた。
そのため左足が紫色に腫れあがり、私がちょっと触れただけでも、飛びあがるほど痛がる母を抱きかかえ、ポータブルトイレに腰をおろさすのは大変なことであった。義妹が「腰を痛めんように」と気遣ってくれるが、全身の力を出し切っても、四十キログラムに満たぬ母の体重は、かえって百キロにも相当するくらいである。尿意を気にする母に三回つきあった私は、遂に悲鳴が上がり、「このままにしてはおけない」と気持ちは走るが、ちょっと動かしても痛がるのでどうすることも出来ない。義妹と相談して救急車をだしてもらうことをお願いして、ようやく彦根市立病院へ運んでもらったのである。
ただちにレントゲン撮影し、診てもらったところ股関節骨折で、若い外科の先生の診断で手術と決まった。手術までの三日間は足におもりをつけ、足を引っ張る処置をしてもらい、入院することになった。六人共同の相部屋に入院の経験のない母を置いてくることに不安はあったが、付き添いのスペースもなく、「完全看護」の説明に気をゆるして、私達は引き上げてきた。
翌朝、病室へ行き部屋の人に挨拶をすると昨夜は環境が変わったことと、トイレのことが気になって「はばかり」「はばかり」を大声で繰り返し、同室の患者さんを眠らせなかったそうである。すっかり恐縮した私は、皆さんに謝りに歩くと寝不足なのに、「環境が変わったのだから仕方ないですよ」とかえって慰めてくれほっとしたものであった。そんな事で翌日からは、個室へ入れてもらったが、「はばかり」の声は整形外科病棟の一画をひびかせたようである。
ところが、詰所の若い看護婦さんには「はばかり」の意味が分らず、とまどったようである。年配の患者さんに「はばかり」の意味を尋ね、やっと分って処置してもらったとも聞いた。そして直ちに母の事を「はばかりさん」と仇名がつき、詰所内では「はばかりさん」で通用していた事も聞き、恥ずかしい思いとともに苦笑したものだった。
ちなみに「はばかり」の用語を辞書でひくと、一、さしさわりとして敬遠する。遠慮する。二、相手を気にしてさしひかえる。三、周囲にさしさわるほど、一杯にふさがる、大きくのさばる。四、はびこる、幅をきかせる。五、人目を憚るの意で便所とあった。今でこそ、排泄の場としてトイレは便座式で、明るくお尻をおろすと人肌のぬくみが伝わり快適である。用便を済ました後も排泄物は水と共に一掃され、汚物は何も残らない。しかし、明治生まれの母が使用していたトイレは、いわゆる便所で、家の一番鬼門にあたり、寒くて暗い場所に位置づけられ、家の中でそれこそ一番陽の当たらぬ、はばかれる所であり、用便をするということは、ひそかに憚れる行為であったのだ。
私はこの度の思いがけない母の入院で、はからずも「はばかり」という言葉がクローズアップされ、彦根市立病院整形外科の中で、若い看護婦さん達に、その意味を知ってもらったことは、また、別の面で考えさせられることに気付いた。最近の若い人たちの日本語離れが、とかく問題になっているなかで、「はばかり」という一つの言葉のもつゆかしさを、多少でも分ってくれたら、と願うことであった。
「はばかり」で一騒動おこした母も、高齢ながら少しずつ傷も回復してくると、もう「はばかり」という言葉も口にせず、今では自分で用を足せるようになった。今のところではリハビリに励んでいるが、退院の日も間近になってきたことを喜んでいる。
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