随筆・評論 市民文芸作品入選集
 特 選 

知覧特攻平和会館を訪ねて
稲枝町 山本正雄

 太平洋戦争の末期、沖縄近海まで侵攻してきたアメリカ軍に対し、日本軍は神風特別攻撃隊を出撃させてこれに応戦した。特攻隊は片道だけの燃料で基地を飛び立ち、二百五十キロ爆弾を抱えた飛行機もろとも敵の軍艦に体当たりするという、絶対に生還することのできない作戦である。本土最南端の基地となった鹿児島県知覧には、特攻作戦で南の海に散った千二十六名の兵士を偲ぶ遺品館「知覧特攻平和会館」がある。

 館内には特攻隊の遺影、遺書、遺品や、当時の貴重な資料が収集展示されている。この兵士達の悲惨な青春を思うとき、誰が涙なくして見られようか。窓から射す薄ら日が漂う館内の重い空気のなか、人々はハンカチを握りしめて展示品の一つ一つを食い入るように眺めている。

 出撃前の一時、子犬を抱いて戯れる数人の兵士の写真がある。二十歳前後であろうか、その表情には死を目前にした恐れは微塵も感じられず、澄んだ目と微笑みは私の脳裏に焼きついて離れない。若い彼等に開けたであろう輝かしい未来は、戦争によって無残にも踏みにじられてしまったのである。

 多くの遺書の中に「一度死んで見るべえ」と書かれたものがある。冗談めかしいこの遺書に私は一瞬どきりとした。明日は確実にやってくる死に直面し、どんな思いを込めて書かれたのだろうか。墨痕鮮やかなこの前に暫し立ち尽くていた。

 知覧の町に富屋という旅館がある。この旅館のおかみで特攻の母といわれた鳥浜トメの物語をバスガイドがしてくれた。当時、富屋は軍指定の食堂になっていたが、トメは親元を遠く離れてやってきた隊員たちを、血の繋がりを越えて我が子のようによく面倒を見た。食堂には若い笑顔が絶えず、何時しか隊員達の溜り場となった。誰にも胸の内を明かさなかった彼等も、母親のように慕うトメには何ごとも打ちとけて話をした。出撃が決まると必ず訪ねてきてこの世で最後の時を語り合い、家庭や恋人への手紙や形見の品を託した。こうしてトメは知覧基地から飛び立った多くの特攻隊員を見送ったのである。

 多大の犠牲を払った特攻作戦も戦局を変えることはできず、敗戦となった後、進駐して来たアメリカ兵は、残されていた戦闘機をまるでごみのように積み上げ火を放った。隊員達があれ程大切に守ってきた愛機が、めらめらと燃え上がるのを悲しんだトメは、その跡に木の墓標を立ててお参りしたという。

 昭和三十年、知覧町は兵士達を供養するとともに、恒久の平和を願って特攻平和観音堂を建立したが、トメは傍らに石灯篭を建てお参りするのが日課となった。その後、各地からの寄進が相次ぎ、知覧の美しい町並みにはおびただしい石灯篭が並んでいる。トメは平成四年、八十九歳で亡くなるまで、自分に課せられた使命であるかのように、その目で見た特攻隊を語り続けた。いまも平和会館のビデオコーナーで彼女の思い出話を聞くことができる。島浜トメの生涯は、昨年、読売テレビ「知ってるつもり」で紹介されたが、司会者の関口宏をはじめ、出演者はみな涙をこらえて話をしていたのが印象的であった。

 展示品に古いグランドピアノがある。音楽を志していた学徒兵が、今生の思い出にベートーベンの月光の曲を弾いて征ったという感動的な物語の主人公である。平成五年に神山征二郎監督が「月光の夏」として映画化し、広く知られるようになった。二人の学徒兵は近くの学校にピアノがあるのを聞いて出かけたが、このとき立合った若い女教師はこれを大切に守り続け、年老いてからこの話を打ち明けたのでここに置かれるようになった。ピアノはその後修復され、再び美しい音色を出すようになったそうである。

 会館の前には特攻隊員の銅像が建っている。「とこしえに」と銘のある台座の上に、出撃時の姿を写した若き勇士の像である。「右手は久遠の平和を、左手は固い決意が秘められ、開聞岳を仰ぐ眼は生もなく死もなく、すでに我もない隊員の仏心を現わしている」と説明がなされている。裏手には復元された当時の三角兵舎がある。隊員達はこの粗末な兵舎に寝起きして、どのような思いで出撃の日を待ち、遺書を書いたのだろうか。バスツアーは見学時間に制限があり、心残りのまま館を去ったが、戦争の痛ましさと空しさをつくづく感じた一時であった。

 戦後五十年余りが過ぎ、戦争を全く知らない世代が増えてきた。若い人達には実感として分からないだろうが、ぜひこの平和会館に足を運んでほしい。そして戦争の悲劇を風化させることなく、命の尊さ、平和の有難さに思いを馳せてほしい。昭和のあの頃は不幸な時代であったとの一言で片付けてはならないだろう。純真無垢な若者たちは、ただ一途に日本の勝利を信じ、国難に殉じたのだから。


( 評 )
感情の抑制もよく効いた導入に、ひきこまれる。文章全体に過不足がなく、特攻隊員として散った当時の青年達の思いが、読む者にしみじみと静かに伝わってくる。作者の思いのように、過去を単なる不幸な一時期として終わらせたくないと思う。

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