随筆・評論 市民文芸作品入選集
 特 選 

学びて時に之を行なう
松原町 山口 一

 「学びて時に之を習う亦説ばしからずや」

 学んだことを機会あるたびに思索して、より深く理解してゆくことは、なんて嬉しいことだろう。本来はこういった意味の言葉だったと思う。

 書物の中にこの言葉を偶然見つけた時は、なるほどと思っただけだったが、どういう訳か私の頭にはまったく別のイメージとして残った。

 「学びて時に之を行なう」

 学んだことを日常生活の中で生かし実行することは、なんて難しいのだろう。と自分勝手に作り直してしまったのである。

 しかし、日頃の生活を顧みれば、自らの造語が当てはまる出来事の方がはるかに多いことに気づく。

 先日も、心の中でその造語を呟きながら大きな溜息をついたばかりである。

 お彼岸のお墓参りを兼ねて醒井まで行った時のことだ。私は母と妻そして四ヶ月になったばかりの息子と一緒だった。

 昨年その息子が生まれたことで、我が家はにわかに活気づき、両親の悲願でもあったお墓の建て替えまですることになった。

 雪のせいで施工に取り掛かれず、彼岸会に合わせてという希望は叶わなかったが、段取りが付いたということで母はずいぶんと喜んでいた。

 古いお墓には最後のお参りとなった。お寺に挨拶を済ませたあと、皆で食事をして帰ることにした。母が食事代を奢るという。

 息子にしてみれば生まれて初めての外食だった。

 「と言うても見てるだけやで可哀相そうやな」

 と皆で笑い、それでもおめでたいから少し贅沢をしよう、と一軒のお店に入った。

 昼食時にはまだ少し時間はあったが、休日ということもあって店内はそこそこ賑わっていた。

 私たちはそれぞれ料理の注文を済まし、窓の下を流れる清流を眺めた。

 息子は目に見えるもにすべてが珍しいらしく、目を真ん丸にして辺りをきょろきょろ見回していた。突然泣き出して他のお客さんに迷惑にならないかと心配したが、いつになくご機嫌な様子で、ひとまずほっとした。

 三十分が過ぎ店内はほぼ満席になった。

 店内の騒めきが増すとともに、息子が少しぐずり始めた。そのうち、定食を注文した私の分の惣菜だけが運ばれて来たが、おかずだけ食べるわけにもいかず、皆の分が揃うのを待つことにした。

 見れば、後から来たお客に私たちが注文したものと同じものが先に運ばれていく。何か段取りの具合なのだろうと思い、私はそのことをふたりには言わなかった。

 私たちは交替で息子をあやしながら、料理が運ばれて来るのを待った。

 それから十分経ち二十分経っても料理は来なかった。

 「ごめんな、ごめんな。お料理来たら大急ぎで食べて帰るでな」

 と妻が言い、母は抱っこして外で待っていようかと言い始めた。

 ビールを飲み始めたグループの嬌声と煙草の煙が気に触る。やはり赤ん坊を連れて来るのは間違いだったのだろうかと思った。

 「うぎゃー」

 堪えきれなくなって息子が声を出した瞬間私は頭に血が上るのが分かった。息子が寄ってたかって苛められたような気がしたのだ。

 「もうええ帰ろ。いつまで待たしよるんや」

 近くの客が一斉に私の方を見た。

 「もう注文しているんやし」

 母はおろおろして私を宥めた。

 「知るか!」

 私は一万円札を叩きつけて食べずに帰るつもりだった。息子はすぐに泣きやんだが、今度は妻と母が泣きそうな顔をしていた。

 料理が運ばれて来たのは、皮肉にも私が腰を上げようとしたのと同時だった。

 私たちは押し沈んだ気分で料理を食べ、早々に店を出た。

 店を出る時、ふと見えた厨房には八十歳に近いであろう老人がふたり、脇目もふらずに調理をしている姿が見えた。その脇で、同じくらいの年齢のお婆さんが懸命に手伝っていた。

 「料理美味しかったな。」

 帰りの車の中で妻と母が言った。黙り込んだ私に気を使ってのことに違いなかった。

 私はほんの一瞬で、母の奮発と息子の初めての外食と、精根込めて調理された豪華な料理を台無しにしてしまった。

 それは偶然の重なりでも、運が悪かったのでもない。

 平穏で心弾む春の一日ではなく、気分の滅入るどうしようもない一日を選んだのは、他でもない私の心だったのである。


( 評 )
 日常生活にありがちな出来事を、論語の一文とからませてうまくまとめている。レストランの様子、子どもの状態、またそれぞれの心の変化などが、時間の経過と共によく伝わって来る。手慣れたものを感じさせる一文。 

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