随筆・評論 市民文芸作品入選集
 特 選 

東北一人旅
大藪町 岩倉喜代子

 春風に誘われて一人旅に出た……と言えば格好が良いが、暖かくなったら夫の実家へ兄嫁の病気見舞いに行こう、と計画していたまでのこと。今年は節分過ぎに雪が降り、春が足止めを食う状態だった。ようやく各地から花の便りも聞かれるようになり、私も一人旅を決行することとなった。

 夫の故郷である米沢市に行く時は大抵家族揃って行く事が多かったが子供達が独立すると夫婦だけとなり、さらに今回は仕事の関係で夫が同行できず私一人の旅となった。

 一人の気楽さから帰途は千葉県で家庭を持つ長男宅でゆっくりしよう。東京近辺に住む友人と久し振りに逢って来よう、と計画はふくらむばかりだった。

 米原から東京まで2時間半、東京から米沢まで2時間半、乗り換えの時間を加えても新幹線は6時間足らずで米沢まで行ってくれる。結婚当初は上野から夜行列車に乗った事もあり、まさに隔世の感がある。けれど沿線の風景をゆっくり眺めたり、乗り降りする人達の土地訛りを聞く、という感傷も風情も薄くなった。ただし、……今回はたっぷり時間のある旅行、「そうだ、青春切符で帰ろう」と思いついた。

 4月になったら奈良へ行くつもりの青春切符が手帳に挟んである。東北新幹線の場合、停る駅が在来線と同じであるから、途中疲れたら新幹線に乗ればよい、との逃げ道もあった。

 実家での4日目の朝、甥の嫁に見送られて米沢発八時過ぎの奥羽本線福島行に乗る。米沢駅周辺には「謙信公入城四百年」「鷹山公生誕二百五十年」の大看板や旗が目立っていた。米沢を出た電車は雪が残る田畑を過ぎて山の中に入る。所々に「祝鉄道開通百年」のポスターが貼ってあるが、こんな山の中によくぞレールを引いたものと感心する。さぞかし難工事であったことだろう。

 峠という山の駅に着くと、弁当売りの姿でホームを歩く人が居る。よく見ると弁当ではなく「力餅」と書いてあり、有名な峠の力餅とはこれかと買う気になったが、モタモタしている間にドアは閉じてしまった。

 福島近くになると右側に雄大な雪山が見えてきた。向かいに座っている年配の婦人に「立派な山ですね」と話しかけると「冬は山おろしの風が強いし、夏はすり鉢の街だから暑いし、何にも良い事ありませんよ」と予想外の返事だった。この人はスキーや登山とも縁が無く山を美しいと眺める事もなく、厳しい気象条件の現実だけと真向かっているのか、と少々同情する。

 福島からは東北本線となる。郡山行きの出発まで少し時間があるので外に出た。春というのに確かに山おろしの風は強く寒い。駅の壁に大きな観光地図が掲示してあるので、先程の白雪の山を確認すると磐梯山と思っていた山は吾妻山だった。

 以前車で帰省の時、吾妻スカイラインを通る計画があったが、雨で中止した。その内機会を見てぜひ一度通って見たいと改めて思う。

 福島から郡山までは向かいの席に高校生らしき少女が座った。布のバックに可愛らしい人形を下げている。今は春休みで楽しい時期なのだろうと赤い頬を見ていると、また雪山が見えた。

 「あの山は何と言う山ですか」

 「阿多多羅山です」

 「智恵子抄ですね」
少女はそうですと頷いてくれた。

 『阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だという。』

 何度目かの帰省の時、夫とこの山を眺めながらおにぎりを食べたのを思い出した。阿多多羅山の山の上には光太郎、智恵子の眺めた時と同じ澄んだ青空があった。山を眺めている間にいくつかの駅が過ぎ、「智恵子の故郷」と書いた案内板もあった。やがて郡山に到着。この駅から新幹線に乗り換えようかと思ったが、向かいのホームに黒磯行きが待っている。そのまま乗る事にした。ここまで来るともう雪の山は見えず沿線は菜の花や連翹(れんぎょう)の黄色が鮮やかに咲いている。まだ福島県だがこの辺りの気候はもう東北型ではないのだろう。

 この電車が駅に停まる度、出る度に鳴る曲がある。どこかで聞いた曲と思っていると、駅の壁に”牧場の朝の故郷”と書かれ、一番の歌詞が牧場の絵と共に大きく書いてあった。『ただ一面にたちこめた、牧場の朝の霧の海』そうか、この音楽を短縮してあるのだ、と納得する。一時間で黒磯に到着、また向かいのホームに宇都宮行きが待って居り、結局上野まで全て在来線、6時間余りの旅だった。

 今回は全く下調べなしの旅だったが、次回は駅周辺の名所旧跡を調べて途中下車しながらの旅がしたい。ひと頃流行した『知らない街を歩いて見たい、何処か遠くへ行きたい』の歌詞をしみじみと復唱する。

 帰宅後、鈍行の旅を聞かされた夫の呆れ顔を見ていると、この人とこういう旅は無理なのかと少々心配になるのだった。


( 評 )
  米沢から鈍行に乗り、気兼ねのないゆっくりとした一人旅を楽しむ。車内の乗客との会話、移りゆく風景描写などすばらしい。作者の積極的な生き方、好奇心を失わない若々しい心に拍手を贈りたい。しかし、文章表記のルール、文字の使用等、正確さが欠けるのは惜しい。

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