詩 市民文芸作品入選集
特 選

青い湖
大藪町 西野 みどり

湖の岸辺の老人ホーム
防風林をへだてて古い平屋の赤い屋根
今日から母はここの住民になる
三月の湖は青く輝いている

痴呆の母に湖はどのように映るだろうか
難聴の耳にかすかな波の音は聞こえるまい
広がる湖の景色に呆然として
自分の居場所を見失いはしないか

明日慣れぬベッドでの目覚めに
射し込む朝日の角度をいぶかりはしないか
親しい家族の気配を待って
いつまでも来ない事に失望しはすまいか

みずみずとした母子の日々は遥かに遠い
その延長線はどこで途切れたのだろう
母のために他の終生を選べなかった
許しを乞わなくてもよいのだろうか

青い湖に私は幾たびも涙ぐまねばならない
見舞った母を一人残して帰るとき
いつか息を引き取った母につき添って
湖に向かうアプローチを出てゆくときも

生きる限り私のそばに青い湖がある
苛み 癒し 諦めの涙とともに
やがて母も私も涙も雲散霧散して
湖はまた誰かの青い湖になるのだろうか


( 評 )
まさに今日的テーマであり完成度も高く、母への心情は読む人の心を打つ。作者が心の平安を青い湖からもらうであろうように、母もまた青い湖から平安をもらうだろう。作者の力量によって青い湖は普遍的な癒しの場所となった。
「母のために他の終生を選べなかった/許しを乞わなくてもよいのだろうか」は切ない。

もどる