随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

ヒヨドリと山茶花の木
平田町 三宅 友三郎

 裏庭の山茶花の木が、この冬も濃いピンク色の花を咲かせていた。と言っても取り立てて人様にお話するほどの事でもない。ただこのたびは例年になく開いている花の数が少なかったことである。そして素人くさい考え方の行き着いた所は、何年も手入れをせずにほって置いた庭木を、昨年の夏思い立ったように剪定してもらったから、山茶花の木もきっとびっくりしたのであろう。だからたくさんの花を咲かせなかったに違いないと、まことに手前勝手な憶測を立てて判断している。
 しかしだからといって、裏庭の植木が何本も立っており、たがいに重なり合い、密林のようになっていたからと言うのでもない。わずか数本の立木でも剪定されたとたん、お互いの木の間がすっかりスコスコになってしまい、その時きっと新しい新芽も大分に摘み取られたからだろうと、またまた植木屋さんが聞いたらカンカンになって怒るような解釈もしている。ところが一本一本の木がさっぱりと散髪したように形よくなると、こんどはその間から裏のアパートの駐車場が丸見えになり、今まであまり気にしていなかった自動車の出入りがどうも気になって仕方がない。
 それでも先日のことである。午前中は裏庭に面した縁側は太陽の光がよく当たるので、昨年取れた南京豆の殻剥きをしていてすこし飽きてきたときだった。何げなくガラス戸越しに、山茶花のピンク色の花の美しさに見とれていると、急に二、三枚の花びらがひらひらとこぼれ落ちた。そして何だろうと思わずおおきく身体を動かしてガラス戸に近寄ると、咲いていたあたりの小枝にしがみつくようにして、落ちた花びらの芯を食べている一羽の鳥を目にした。しかし家の中でも急に動いた私に驚いたのか、一瞬となりの槙の木の枝の中に飛び込むと、あっと言う間もなく私の視界から消えてしまった。
 私はあまり鳥に関しての知識がないから、最初はスズメにしてはちょっと大きすぎると思った。体全体は灰色だが背中だけが茶色で、嘴が細く尻尾が長かったと後でつれあいに話したら、それはヒヨドリだということを教えてくれた。いやもっと正直な話だが、冬の鳥として名前だけはヒヨドリとかムクドリとかは聞いていたが、その違いをはっきりとは知らなかったという存在である。だからこんな花の芯を食べているところもはじめて見ることであったし、またそれは花の蜜を好んでの習性だとまでは思いもよらぬ出来事であった。
 ところが凡夫の考えの及ぶところはまことに情けないものである。それではこんな人間の住む身近な所まで飛んでくるのだから、ひょっとしたら餌付けが出来るかもしれないとこんどは愛鳥家に笑われるような思いつきをしだしたのであった。それは丁度縁側で南京豆の殻剥きをしていたから、急にそんな発想が飛び出して来たのかも知れない。おまけにこの南京豆も素人作りだから、まるまるとした粒のよいものより、出来損ないのしぼんだものもかなりあった。そして頭にひらめいたのが、この食べられない南京豆を、ヒヨドリにやったらどうだろうかという考えである。まさに人間の勝手さをむき出しにした迷案である。
 しかしそれだけではと何処にそんな良心があったのだろう。先日間違って買ってきた、それこそスズメの卵に似たお菓子をペンチで割り、餌付けの皿に一緒に混ぜて山茶花の木の根元においてみたのである。ところがこの私の思いつき迷案は見事に的中したのだった。餌付けの南京豆と加工品のお菓子はすっかり無くなっていたのである。私は思わず「ヤッタア」と口に出していたが、その時の年を忘れた顔付きはどんなものであったであろう。そしてとうとう二、三日して、やっと餌をつついているヒヨドリの姿を見ることができた。
 その日は風の強く吹く寒い日だったが、今日こそは飛んでくる姿をはっきり見ようと、日当たりのよい縁側で暇な老人丸出しに、じっと山茶花の木の根元に置いたウグイス色の得付け皿を見つめていた。しかし待っているとなかなか飛んで来ないものである。いやひょっとすると、いくら家の中でも私の姿をどこからか見ていて、怖がっていたのだろうか。
 それでもヒヨドリの方がとうとう根負けしたのであろう。突然のように隣の槙の木の枝に飛んで来たが直ぐ餌皿の所に降りず、しばらくはまわりを警戒するように何度も首を左右に向けている。ようやく誰も居ないと見ると地面に降り立ったが、また同じように周りを見廻している。なんとじれったいことだと思ったが、やっと餌皿に飛びついてもまだまだ警戒心を緩めず、餌をつつく度にまた首を上げて周りを見つめている。
 しかしようやくここまでヒヨドリが慣れて来たとき、かれの頭の上の山茶花の木の花はすでに一輪も無くこぼれ落ちていた。


( 評 )
わずらわしい世事を離れ、飛来する小鳥とのやりとりに一喜一憂する筆者の枯淡の境地にあやかりたいものである。対象を細かく見つめ、筆者自身の心の動きもうまく描写されている。内容的には起伏に乏しいことと、謙虚さやためらいの言葉もよいが、多用されると少し気掛りになる。

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