随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

彦根弁は面白い
京町三丁目 西沢 三郎

 「さぶやん、元気けー(ですか)」
 「よう、なんえー(の用ですか)、きょうは。」
 「暇でしょうがないさかいに(ので)な、おまん(おまえさん)も暇もてあましてるやろ(だろうと)思うて、しゃべりにきたんやけんど(けれども)、いそがしいけ。」
 「(そ)んなことあろかいな(はない)。今日中にこれだけせんならんちゅう(という)仕事はもうでけへんしな(できない)、暇なこっちゃ(ことです)。」
 彼は幼い頃からの友である。遠慮もなければ思うことをずばずば口にする。遠慮しいしいもの言うのではこんなに交友関係は続かなかっただろう。「さぶやん」というのは私の呼び名である。親に呼ばれた「三郎」友に呼ばれた「三郎さん」「さぶちゃん」「さぶさん」「さぶやん」「あぶさん」対人関係の親疎や時、場によって変化するのであるから呼び名だけでも面白い。だれでもアダ名も含めて本名以外にいろいろあると思うが。また、「そのようなきたない言葉は無縁ですわ。」と言われるのなら「すんませんなーし(です)。」とあやまるしかない。
 近頃、マスコミで方言についてよく耳にする。方言を「なまり」「お国ことば」位に簡単に考えてもいろいろの論があるようだ。ふるさとの訛なつかしとの感傷論。方言不要論。方言自然衰退論。変化し生き延びる論等々。私は方言研究者ではないし不勉強で詳しくは知らない。知らないからこそ、勝手な論を書けるのだろうか。
 最初にあげたのは彦根に住んで七十年の男二人の会話である。だからといって、これが「彦根弁」だなんておこがましいことをいうのではない。しかし「彦根地方」で話されている言葉を「彦根弁」というとするなら「彦根弁」の一つには違いなかろう。
 「さぶやん、彦根でしゃべってるの書いたーるもん(書いている物)知らんけ(知らないか)」と彼が突然言い出した。
 「(そ)うやなー、あんまりあらへんのとちがうけ。滋賀県の方言ならあるけんど(けど)、なんでやねん(なぜですか)。急に。」
 「彦根に住んでてもな(いるのだが)、あんまり(あまり)知らへんさかいに(ないので)勉強しよ(しようと)思うてな。」
 「いなさら勉強しても手遅れやないけ。」
 「ほんなこというないや(言わないでほしい)。」
 「ほれやったら(そうだったら)、これ読んでみーや(みたら)。おもろいで。岩波文庫の『おあむ物語』ちゅうのやけんどな(というのだが)。佐和山城主石田三成の家臣の娘のおあむがな。関ケ原の戦いの前、大垣城での戦いの経験を子どもに話したのを聞いた人が思いだして子どもに話すのを記録したというのやけんど(だが)。天守に打ち首をならべておはぐろをつける。その横で寝たという話やけんどな(なんだが)。『こわいものではあらない』んだと。」
 「おもしろそうやな。かしてくれや(くれませんか)。」
 「うん、もってけや(いきなさい)。読んだら返えせや(して下さい)。」
 「あらない」てか(と書いて、言っているのか)。うちの(私の)隣のばーさんは、お元気でよろしゅう(しい)おます(ですね)なーっていうとさいが、そんなことありましょ(せん)かいなといわる。わしらやったら、「そんなことあろけ」
 「あろかい」「あらへん」言うのにな。「あることがない」「あろうことがない」一緒や。四〇〇年前のおあむさんと言い方が。」
 その他にな、おあむさんは彦根ばば、その話をする人を彦根ぢいと。老人が昔はこうだったと引いて叱るのを「彦根をいう」というんやそうな。あんまり言うとあかんか(いけない)。」
 「あのなー、長浜へ行ってみーや(みると、すると)、「行く」「行った」を「いっこる」「いっこった」と言うで。彦根やったら(だったら、ならば)「いっきょる」「いっきょった」言うがな(と言う)。一寸離れただけでころっと違うで面白い。ほうやさかいにと言うけんど(が)「そうやさかいに」の「そ」と「ほ」が交代してるのも彦根弁の特徴やて。ほんなこと考えて使うてーへんもん(使っていない)な。」
 「考えたらもの言えへんようになるで。」
 「あんな、昔な子どもの時分にうちのおかちゃん(母)がよう(よく)言いよったん(言った)やけど(のだが)。」
 「お山(彦根ではお城のことをお山という)へ遊びに行くのはよいけんど(いいけれど)、お山の鐘が三つごーんとなったらもんできいや(帰ってきなさい)。もんできたらご飯やで(だから)。気つけてもんでくるんやで(帰ってきなさいよ)。」
  「ほんまや、わいも(私も)よう言われたわ。」
『彦根弁は暖かいな。』
 「あんなーほやさかいに(だから)な、せなあかへんがな(やらないといけない)。やってみてみーや(みると)。なんとかなるほん。ええもんやでー。」
『彦根弁はほっこりする。落ち着く。』
 訛りなつかしかも知れない。停車場にいけど訛りなどなし、病院の待合にそを聴きに行く、といった人がいたが。
 「いこけ(行こうか)」「うん、いこいこ(行こう、行こう)。」
『彦根弁は単純明快である。』
 「さぶやん、おまんとしゃべってると時間のたつの、はやいな。ほやけんど(そうだけれど)もういなんと(帰らないと)おかー(嫁さん、母の場合も)おこりよるがな(おこるだろうから)。ほないぬわ(そうしたら帰ります)。」
 「もう、いぬんけ(帰るのか)。「日本一」言うてる(と言っている)奥さんによろしゅう(よろしくと言って)な。ほなら(そうしたら)、気ーつけてな。」
 「ほな、いの(そうしたら、帰ろう)。さいなら(さようなら)。」と彼は帰っていった。
『彦根弁はやはり面白い。死ぬまで使うか。』


( 評 )
古くから語り継がれた彦根の言葉、ふだんは何気なく話している方言、筆者はそれ等の言葉の中に心暖まる何ものかを感じ、その言葉の中で生を全うしたいとまで言及する。単に懐古趣味ではなく、言葉の歴史を調べるなど、着眼点がユニークである。まとめの部分にもうひと工夫あれば、更に「面自い」作品になったと思われる。

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