随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

妻が手向けた花
東沼波町 郡田 和夫

 妻の死後、孤独という心の隙間と向き合いながら、七年が過ぎ、早や今年も四方の山々が色づき始める季節を迎えた。
 そんな或る日、私と同じ難病を抱える大阪在住の父方の従兄が、珍しく夫婦一緒に墓参りの帰りや、といって訪ねてきた。
「和夫いるか」
 私が常時使っている居間に顔を出すと、彼は開口一番
「おまえはもう墓参りはすんだんか、病気を持っていると、ここ迄くるのがなかなか大変や」
「無理もないよ、近くに住んでいる者でも行けないから」
と応じているうちに、話は自然と亡くなった妻のことに話題が移った。
「ところで、亡くなった良子さんは、墓参りの際、郡田本家の方にも花を供えてくれたらしいな」
と言って頭を下げたが、いつもの彼に似ず歯切れが悪かった。そういえばかつて妻と墓参りに行った際、花が余ったからといって、本家の墓の方へ向かったのをうっすら憶えているが、さほど気にも留めていなかった。
 だが、従兄のいうように、毎年継続的に行われていたとすれば、話は別である。いかに妻の善意が他意のないものであっても。人によっては、余計な世話と思う人がいるかもしれない。果たして妻の行為は従兄夫婦からどのように映っていたのだろうか。
 人の善意は必ずしも、そのまますんなりと、受け入れられるとは、限らないものである。文豪志賀直哉の不朽の名作「小僧の神様」は、人間の善意をテーマにした作品であるが、あぶない私の記憶をたどってみれば、主人公Aの貴族院議員は秤屋の丁稚小僧に名代の鮨をご馳走をして、交流をはかろうとするが、最初の出会いはなんとかうまくいったものの、二回目の出会いは、相手方の思或も絡んで、Aの願いむなしく、結局不調に終る。
 人を喜ばすのは、悪いことではないが、対人関係は難しい。一歩の間違いが些細なことの引き金になって、何時、何が起きるか分からない。良好な人間関係を構築していく為の要諦は、多少回り道をしても、忍耐強く、時間をかけて、お互いの信頼関係を確かめあうことである。同時に当然のことながら、何びとも対人間は常に対等であって、人を無下にすることがあってはならないことを、肝に銘ずべきである。生きていくことについて、何の衒いも飾り気もなく、ごく自然体で人に接してきた妻は、自分の好意を人に押しつけるような人間ではないが、ややもすれば、人の心情を察する配慮が、少し欠けていたのかもしれない。
 善意がから回りした妻の一件が落着すると、話は老人の健康問題へと展開していったが、話が一区切りついたところで、
「ぼちぼち失礼しましょうか」
奥さんの合図で彼は立ちあがった。廊下を歩きながら
「今日は楽しませてもらったよ。これから、カンポ(簡易保険保養センター)へ行くんや、ここ迄生きてきた以上、もう少し頑張らんとなあ」
と気丈なところを見せた。だが、彼の健康は彼が思っているよりよくはなかった。やがて脳梗塞で倒れ、病の床に伏すことになった。老人が高齢化社会を行き抜くことの難しさを、改めて思い知らされた。
 それから数日後、ようやく重い腰をあげた私は、わが家の菩提寺にあたる高宮町の徳性寺へ向かった。通用口より境内に入る。古びた山門を右手に見て、本堂に通じる左手の道を通って、給水所へ向かう。
 晩秋とはいえ、森閑とした境内は人影もなく、物音ひとつ聞こえない静けさである。ときおり、季節の移ろいを告げる冷たい風が、頬をかすめるように通り抜けていく。視線を後ろに向けると、木々の間から漏れる靄のような陽ざしが、幻想の世界へ誘う。
 本家の墓地を通り抜けたところに、わが家の墓地が静かに佇んでいた。これまで妻との共同作業でこの墓地を守りしてきたが、今はその妻もすでに亡く戻ることはない。墓石を洗い清め、かつて妻が行ったと同じ手順で墓前の花差しに花を供え、合掌をすると、在りし日の妻の面影が彷彿として甦ってきた。妻に今日迄の不道を詫び、黙念をして、ようやく墓参りという名のわが家のセレモニーを終えた。しばらく墓地内を徘徊した後、帰路に着く。見あげると、空はいつの間にか、青空がいっぱいに広がり、さわやかな秋日和に変わっていた。


( 評 )
他人への善意が、しばしば押しつけになってしまうというテーマであるが、盛り上りに欠け、せっかくの素材が生かされずに終わっている。今は亡き妻への思いがよく伝わってくるが、文脈、用語など全体に推敲不足が目立つのは残念である。

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