母の入浴介助
自宅を車で出て国道八号線を渡り、ブリジストンの欅並木道を通る。この道は四季折々のうつろいを見せて楽しませてくれる私の大好きな道である。いつもこの道を徐行しながら、もっともっと続いていればよいのになあ、とも思う道でもある。犬上川に沿って橋を渡り、後は国道三〇七号線と平行している農免道路を走って、湖東町の実家へ週に一度、母の入浴介助に行っている。
母は明治四十一年生まれの九十四歳、目下弟夫婦の世話をうけながら暮らしている。私の顔を見ると喜んでくれるが、その会話はいつも同じ内容の繰り返しで「よう遠い所から来てくれたね。どれくらいの時間がかかるの」と問う。「三十分じゃ一寸無理かな、三十五分くらいかな」と答える後から又同じ事を聞く。その度に同じ返事を初めて聞いたように答える。物忘れがひどく、半分痴呆がかかっているのだろう。年齢から考えて無理からぬ事とも思うが、矢張り度重なると、面倒と思う反面わびしくなる。
訪問の目的は母を入浴させるのだが、まともに勧めても「風邪気味だ」「今は入る気がしない」等の理由で拒む。それをまともにうけていたら、彦根から車をとばしてきた目的が果たせないので、だまし、だまし入浴させるのである。「この部屋を掃除するから一寸出てくれって」等言って脱衣場へつれ出す。既に義妹が浴槽に湯を入れ、ストーブをつけ、椅子を置いて準備していてくれる。そこへ誘ってきて椅子に腰かけさせ、衣類を脱がすのである。そこ迄くると従順にされるままになって浴室の入る。かかり湯をして湯船に入れるのだが、五十糎程の高さの浴槽に入れるのが大変で、足が上がらずふらつく。手すりを順に移動させながら持たせ、右足はなんとか入るのだが、左足が上がらずしまいには抱きかかえて入れてやる場合もあるが、その日の調子によってわりとすんなり入れる時もある。湯船の中で手足を伸ばし、ゆっくりとぬるめの湯に浸る母を洗う。背中をタオルで洗うと「ああ、いい気持ち、そこが痒かったんよ」と目を細める。そして「昼間からお風呂に入れるなんて贅沢やねえ」とくり返し言うのに「そうよ、有難いことやね」と相槌を打ちながら、私は母と浴室の中でいろいろな会話をする。母のしなびた体にへばついている乳房やその裏を洗いながら「このおっぱいで五人の子を育てたんやねえ、もうすっかりしなびちゃったけどさ」と誉めると嬉しそうな笑みを口許に見せてうっとりと懐かしそうだ。
しなびたる母の乳房を洗いつつ
五人育てしおっぱいと誉め
過日「痴呆介護の取り組み」という題目の研修会に参加する機会を得た。各々ショートステイ、デイサービスを行っている老健施設で働く人たちの体験発表があった。その中で印象に残ったことは、孤独になりがちなお年寄りの意識をはっきりさせ、痴呆をくい止め、前向きに生きていく姿勢をもたすために、回想療法が効果的である旨、事例を示されて発表された。いわゆる昔活躍していた仕事等をスタッフたちが認めて、それについての話題や、実際にその技術を活かしてもらう、ということである。その一例として、かつて食堂を経営していた方に調理を手伝ってもらったところ、魚が水を得たように生き生きとなり、仕事をされた話を聞いた。それは母で実際に私自身が実証しているので、思わず深くうなずき納得のいく話であった。
やがて、ほんのり頬があかく上気した母を抱きかかえ、湯船から出し体を拭いて椅子に腰かけさせ、上半身の身繕いをし、下を穿かせ手すりに両手を持たせ立ち上がったところで、下穿きと共にズボンをあげてやる。それで一応入浴は完了、もとの母の部屋へ連れていき、椅子に腰かけさせる。「ああ、気持ちよかった。温泉に行ったみたいだった」と喜ぶ姿をみると、入浴前の不安や労力がスーッと消え、義妹の出してくれるお茶が、乾いた口を潤し一きわ美味しく感じられる。
既に高齢者の域に入っている私を案じて、弟夫婦は訪問入浴の福祉サービスをうけようと言ってくれるが、この母とふれあうことのできる歳月を思うとき、「今はなんとかやれるから、できなくなった時は頼むわ」と言っている。
帰途は一週間の重荷が一度に降りた感じで、ルンルン気分であるが、その反面、やがて自分にも必ず訪れてくる「老い」が母の姿とだぶって不安と複雑な気持ちにもなる。
そんな思いの帰途の欅並木道は、西陽をうけ暮れなずむ茜色の空に向かって、裸木の枝々がくっきり映し出され、美しいカラーの影絵を見るような景色である。幾分日脚の伸びた感じをうけながら、明日も晴れるだろうか、と思いながら帰途についた。
|