随筆・評論 市民文芸作品入選集
特 選

快適と浪費の間で
高宮町 木村 泰崇

 「紙オムツみたい、ちょっともったいないんちがう?」と先日私の母は妻のいないところで口を尖らせて言ってきた。確かに私たち夫婦は生まれて四カ月近くになる息子にこの百日余りの間に、一日七枚としても都合七百枚余りの紙オムツを使い捨てる形でゴミにしてきている。紙オムツだけに一体どれだけお金を使っていることやら。
 「あのなあ、時代を逆行するような生き方とか生活はできんやろ?エアコンにしてもファンヒーターにしても何でもそうやけど、もうそういうのを使わない暮らしなんかに今さら戻れへんやろ?そんなことでもったいないもったいないって言わんといてほしいわ」と、私はムキになって言い返していた。すると、母は今度は矛先を変える。
 「あんたらが別居して彦根のマンション借りて住んでることにしても、六万も七万も毎月家賃払ってもったいないことや、いっしょに暮らさはったらいいもんを、なんで別居なんかしてはるんって、近所の人、世間の人らはうるさいんやで」と、四年前に結婚をして以来ずっと私の両親とは別居している私たち夫婦のアキレス腱というか、私が一番気にしているところを母は突いてきた。当然のことながら私はますます青筋を立ててしまう。
 「もう女が家に嫁ぐっていう時代と違うんや。ほら一昔前はみんな貧しかったさかい若い夫婦も親やじいちゃんばあちゃんと同居してひとつ屋根の下で暮らさなやっていけんかったやろけど、もうそういう時代と違うんや。親が元気な間、別居させてもらうことのどかが贅沢なん?アメリカとかヨーロッパとか別居するの当たり前やん、日本ももうそういう時代になってきたということやんか。だいたいな、別居して贅沢とか言うてきやる人ってみな、自分自身が若い時お舅さんやお姑さんにいじめられてきやった人ばかりやろ?自分自身が同居の苦しみ一番よう味わってきたくせして、そやのに同居すすめるってヘンやろ?」と、力を込めて一気に捲くし立てると、母は黙り込んだ。私の言葉の中には棘が含まれていた。私の母も私の祖母に散々いびられてきた人であったから。
 互いにいい年になって結婚した私と妻は、今四十代半ばと三十代後半で、どちらもあの大阪での万国博覧会をよく知っている世代であり、まだ日本が貧しかった頃に幼い頃がほんのかすかにではあるが重なっている世代である。夏の暑い日は蚊取り線香と扇風機を囲み冬の寒い日は火鉢と掘り炬燵を囲みひとつの部屋に家族全員が集まって夜を過ごした。テレビは白黒で、ズボンの膝にはツギがあたっていて、家に自転車はなく、すき焼きは年に四、五回しか食べられない超ご馳走だった。
 私は今でも目を閉じると鮮明に思い出すことができる。そういうつつましい暮らしの中で、小学生だった私の目の前で、母が祖母に文句を言われては涙を流していたことを。
 黙り込んでテレビのブラウン管の方に目をやっている母の横顔を見ながら、少し言い過ぎたことを悔やみ、そして、普段自分が中学校の教壇で今時の中学生に対してついしてしまっている説教を、愚痴を思い浮かべていた。
 携帯電話を持ち、それを使い放題して、その使用料金を親に払ってもらうことになんの疑問も抱かない今時の中学生たち。遊びに行くように学習塾に行くこと、その塾の送り迎えを親の車でさせること、自分の部屋に自分専用のテレビを持つこと、ナイキやアディダスといった有名ブランドもの以外のシューズやウエアを身につけないこと・・・・・・今時の中学生に対して私は明らかに、贅沢きわまりないと思い、浪費だと思い、堕落だと思っている。そして、私たちの頃はこんなんじゃなかったとつい怒りをぶつけてしまう。
 つまりは、母が私に言うところの注意、文句の言動を、私は教室で今時の中学生に対して、まったく同じようにやらかしているわけである。
 「先生、そんなこと言ったって、もう時代を逆戻りするような生活はできませんよ!」という声がさびしそうな目でブラウン管を見る母を見つめる私に聞こえてくるような気がした。
 時代はどんどん流れ、人類は進歩と発展を押し進め、私たちの生活はますます快適で便利なものへとなっていく。若い世代はより快適なものを求める。不愉快なこと、不都合なこと、不便なことは少々のお金を出してでも避けようとする。たとえそれが浪費かもしれないとしても、もう快適ではない世界には戻れない体質なようなものになってしまっている気がする。
 私は今、快適と浪費の間で、求めることと反省することの間で揺れ動きながら毎日生きている感じがする。戦前生まれの母の世代のようにも今時の中学生のようにもなれず、波に浮かぶ木切れのように。


( 評 )
中年世代の市民生活に於ける戸惑いを浮き彫りにして、興味深い題材である。筆者の心情もよく発露されいて、文章も淀みがない。ゆれ動き、そして流されるだけでなく、何らかの働きかけ−例えば資源問題などについてのヒントや暗示でもよい−が文中にあれば、一層味わい深い作品になったと考えられる。

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