星たちへ
前足2本を高く上げ、大きな口を開いて今にも獲物のとどめを刺そうとしている。
そんな獅子座の姿が東の空からおどり上がって来ると、季節は「春」だ。
とはいえ、まだまだ南の空には、オリオン座をはじめとする冬の星座たちが輝いている。
私が星に興味を持ったのは中学生の頃。
地平線近くでまっ赤に光る美しい星が何という星なのか知りたくて色々調べてみたところ、さそり座のアンタレスという星だと判明。まっ赤に燃えている様なその星は、ちょうどさそりの心臓に位置していて、回りの星をつないでみると、毒針を持ったシッポをピンと跳ね上げて体をSの字にくねらせた見事な大さそりが現れた。
そしてその左には、さそりの心臓めがけて弓を引き絞る射手座があった。
覚えれば覚えるほど、それまで点にしか見えなかった星たちが、空いっぱいに大きなスクリーンとなって様々な絵を浮かび上がらせてくれた。
すっかり星のとりこになった私は、あっと言う間に見える範囲の星座を覚えてしまった。星座を覚えると、たとえ今がその季節ではなくても、四季おりおりの感覚を思い起こす事が出来る。
口からぶくぶくと泡を吹いているように見えるかに座の星団の事を思うと、お城に咲き乱れる桜の花が見えるし、温められた土の優しい匂いがする。
さそり座の毒針や、ひこ星のあるわし座の姿を考えると、寝苦しい夏の夜のむし暑さや、耳もとを蚊がまとわりつく嫌な音を思い出す。
また、夏の間、天頂近くの天の川の真ん中を気持ち良さそうに飛んでいた白鳥座が、真っ逆さまに頭を西の地平線に突っ込んで沈んで行く姿は、苦手な夏の終りと、涼しい風や紅葉を思い出させる。
大粒のダイヤモンドの様にするどく白く、全天でナンバーワンの輝きを放つ大いぬ座のシリウスという星の事を思うと、ゴーゴーとうなる北風と冬の刺す様な寒さを感じる。
知らない人にはただの星も、私にとっては、季節ごとに巡り会える懐かしい友人たち。
「また来年」とか「お久しぶり」とか、思わず口に出してしまう事もある。
最近はオリオン座の事を「おじいちゃん」と呼んでいる。
事情があつて小さい頃から祖父母との思い出が何も無い私。先日、生まれて初めて父方の祖父の写真を見た。父に頼んで、父の兄の家から少ない写真を借りてきてもらったのだ。
今の自分より若い祖父が、軍服に身を包み、手を後ろに組んでりりしい顔で立っている写真。祖父は戦争で異国へ行き、若くして亡くなった。
「おじいちゃん。生きていたら、私に甘かったかな?厳しかったかな?」
「一緒に映画を見たり、友達みたいに出掛けたかったな」
写真を見ては、そんな事を考えてばかりのこの冬は、それまで「友人」だったオリオン座が、気付けば「おじいちゃん」に変身していた。都合のいいように変身させられて、オリオン座も呆れているかもしれない。
でも文句も言わず、星たちはそこに居てくれる。世の中が移り変わろうとも、私を取り巻く環境が変わろうとも、星を見る場所が変わろうとも。
そう言えば、人や車や牛でごった返すインドの雑踏の上空には、かつて見た事の無い、くっきりとした天の川が見えた。感動とともに、今も脳裏に焼き付いている。天の川から視線を降ろすと目の前には、星に負けないくらい白い歯を見せて笑うインド人のお兄さんがいて、「すごい天の川だね」と言う私に、「いつもの事さ。まさか日本は、星が見えないくらい夜も明るいのか?」と答えてくれたっけ。
今、地球のどこかでは、「火星を人類の第2の星にする計画」が進められているとか。火星に探査機を送り、色々と調べるのは興味深い。けれども地球人の私たちが、地球以外の星を自分達の物にするという、そんな事が本当に許されるのだろうかと考える。
地球の環境破壊どころか、まさか宇宙破壊なんていう時代が来ないかと心配してしまう。何億年、何兆年と星が流れた頃、この地球はどうなっているのだろう。
もしかしたら別の星から地球に探査機が来て、「生命や水が存在した痕跡有り」と、言われているかもしれない。
この様に、宇宙と星への思いは次から次に湧いてくる。悩み事があっても、何でも無い事の様に感じさせてくれる宇宙や星たちに、この先も勇気や元気を頂こう。
今夜も優しく私を包んでくれている、星たちに感謝しつつ。
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