銭塘秋涛
数年前から上海近くに単身赴任している夫が「大逆流を見に来ないか」と誘ってくれたのは夏も終る頃だった。夫は転勤の多い仕事をチャンスと考えて任地の探索を楽しんで居るが、中国ではより広範囲の旅となり、私も北京、西安、敦煌等の名所旧跡に何度か同行している。今回誘ってくれた大逆流というのは観光地、というよりは鳴門の渦潮のような自然現象
を見るのだ、と夫は説明した。
私はその年の春と夏に親友二人を亡くしたのが原因と思うが、毎日憂鬱で何をする気も起らない日々を過ごしていた。友の一人は近所に住みいつも世話になっていたし、もう一人は大阪に住み家族ぐるみで行き来する仲だった。御主人の定年を迎え「これから夫婦で人生を楽しむ」と張り切っていた矢先だった。二人は偶然にも同じ病名の診断を受け、三ヶ月余りで逝ったのも同じだったが、平均寿命を二十数年も残して逝った二人の事を思うと何をするにも虚しく気怠い毎日だった。夫が側に居てくれたら、と思う事もあったが泣き言は耳に入れたくはなかったし、夫からの旅の誘いも乗り気になれなかった。心配しているらしい息子の「行ってこい」の一言に押される格好でやっと決断した旅だった。
大逆流という現象は旧暦の八月十八日の仲秋節に起こり、地震や台風の天災とは異なり今では時間も計算出来る。地球は自転する為に満潮、干潮があり、新月と満月の周期前後には引力が重なって大潮となる。秋は台風や雨量が多いという気象条件も重なって仲秋節にはその差が最大となる。ブラジルのアマゾン川と中国の銭塘江は河口がラッパ状になっている為に大逆流という珍しい現象が起る。
中国に赴任している日本人が業種を越えて交流する“日本人クラブ”は私のような特別参加の家族を加え、八十人程の団体となって杭州の日系ホテルに前泊した。翌朝二台の貸切バスに分乗して約二時間、到着した所は向う岸が見えない程広い銭塘江の川尻であった。阿波踊りや青森ねぶたを見学した時と同じような桟敷席が長く続いている。我々の席は雨の場合も考えてあるのか屋根付のテント席で、その周辺では一番良い有料席であった。既に中国人、日本人の団体も沢山集まっていたが霞んで見えない向う岸にも見学者は居るようで、前年の大逆流には七十二万人が訪れたと発表された。さすが公称十二億の人が住む国と感心している間にも見物客は増えている。少し高くなっている桟敷席から眺めると、まるで海のようだと思った川も左側には確かに本物の海が見える。この川の水は浙江省を約五百キロ流れて大河となり、この海に注ぐという。先ほどバスの窓から見た広大な風景を思い出していると、中国人のオバサンが真珠のネックレスを両腕に一杯ぶら下げて我々の前にやって来た。片言の日本語で「十本千円!!」と叫んでいる。夫の同僚が本気なのか値段の交渉を始めた。「三十本千円にしたよ」と嬉しそうに言う。「とうとう買わされちゃったね」と夫と笑っていると「奥さんにプレゼント」と言って数本くれた。淡水真珠らしいが高いのか安いのか、本物か贋物か解らないのが愛嬌で、旅先では男も財布の紐が緩むようだ。夫がもらっておけ、と言うので礼を言うと「どこまで安くするのか駆引きが面白いんですよ」とゲームを楽しんだように笑っている。真珠にはあまり興味がないようだった。
暫くすると川の流れが止ったように見えて人々が騒ぎ始めた。足元からドーンドーンと地響きがする。河口からは遠雷のように涛声が聞こえ、双眼鏡で見ると広い川巾一杯に水煙が立っている。そして海の方向から逆白波を立てて地響きと共に涛波が逆流して来るのが見えた。ゆっくり流れているように見えた逆流も目の前に来た時は三メートルの高波で、あっという間に轟音と共に川上に逆流して行った。群集の喚声と逆流の涛音、地鳴りと飛沫〔しぶき〕、大自然が成せる大舞台のようで素晴らしい体験であった。
大逆流や韓国で有名な海が割れる現象も、天文学が発達した今では計算して日時も発表される。しかしある日、突然にこんな逆流が起ったとしたら、沢山の人や田畑を巻き込む災害となった事だろう。川岸の小高い丘に建つ六重の塔は十世紀に呉越王が高波を鎮める為に建立した事でも明らかである。天からの一滴の水が大地を潤す恵みを与える反面、災害や争いを起こした歴史もこの塔は見て来ただろう。
人間の一生も穏やかな時、逆風の時、躓〔つまず〕く時、まるで寄せては返す波のようなものと思えばくよくよと考えても仕方ないのだ。つい先程あれだけのエネルギーで逆流して行った水が再び穏やかに海に流れて行くのを眺めていると
“行先は大海なのだ”と思い至った。前日に夫から聞かされた「旧正月が明けたら中国駐在が終了する」との言葉を思い出していると身体が軽くなったように感じられる。帰り始めた群集の後を歩いていると友人の分も生きて行こう、との思いが湧いてくるのだった。
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