随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

サキソホン
日夏町 小林 勝一

薄っぺらな闇なんか、辺り一面飛ばす、サキソホンの深い重いため息。
夜の橋には誰も居ない。何もない。川は薄く、軽く、貧しく流れる。
どうしたんだろう?ガキの頃、どうどうどう、川は川としてあり、川は川の顔で流れ、人は川を認め、恐れ、一目置いた。そうだ、サキソホンの重々しく深い豊かな音色と深みだった。ガキが大人になるまでに色々あった。そして、川は無慈悲に変わった。変えられた。山の中ほどに貯水ダムが作られたのだ。
海と山の間に信号機が出来た。そうだ、赤、赤、赤、いつも渋滞の赤信号が・・・森のブナやミズナラやクヌギやナナカマドの大した数の落ち葉の何十年もの、つもり積もった森の大地を雪解けやこの辺で天女の水浴びと言う、土砂降りの雨が、地面の滋養を集めて、細をつくり、岩に当たり、つき転がせて斜めに向きを変え、少し幅が広がって、小川らしくなり、途方もなしの年知らずの大ブナの樹のにょきにょきの太い根っこのすれすれを、かすめて、流れ落ちていく。川は森の排泄、木々の草花の、獣、鳥、虫、蛇、トカゲ、ミミズ、おけら、あらゆる生きるもの、生きて動くもの、どっしりと大地に聳え立っているもの、風に揺れながら、花粉を、種を飛ばすもの、いろいろなものたちの捨てるもの、与えるもの、恵んでくれるもの、それらの全てを集める。真面目に休まず、不平も言わず、森の排泄する全てを小脇に抱きかかえ、まっしぐらに、森の中を清流としてひそやかに、確実に、限りなく真剣に流れてゆく。細い沢から清流にまで生長した川には、いつからか、魚という生き物を育てていた。これらは、みな、無垢な生き物だ。文明に触れてない、冒されてない、無垢な純粋な生き物、魚たちは森を突き抜ける清流にも、ぎらり、ぎらりと珠玉の美しさを見せながら住みつく。ヨシノボリ、イワナ、ヤマメ、アマゴ、この森を流れる川の生み出すドラマを葛藤を、俺はどれだけ知っているだろう。カゲロウ、トビゲラの幼虫を餌にする小魚たち。そんな、小さいのを狙う成長した魚、また、それを狙ってやって来るヤマセミ、フクロウ、川辺の小さな生き物、沢蟹やミミズや、森の土壌に一体となる小動物まで狸が猪があさりに来る。イタチがテンが水を飲み、水辺の目に付くものに飛び掛かる姿勢を見せる。カモシカも鹿も水を飲みに、浴びにやって来る。生き物のすべては美しく、しなやかで素早い。
 時はゆっくりとして流れてはいる。獣も鳥も蛇もトカゲも一瞬の休息を、安らぎの姿さえ見せてくれない。俺の目は深い木立の木々の緑と清流のきらめきと雪ツバキの可憐な紅い花片をとらえる事はできた。だが、目に付く自然の中の生死の狭間、生死の闘いの場面をどれぐらい目にしただろう。
そうだ、なにも見ては居ない。町に住み、自然を離れ、日々の暮らしを人と人のふれ合いでしか暮らせない、そんな、俺にどうして野生が見えるだろう。かつて、山に住み、山を生活の基盤とした山の民、山人と呼ばれた者たちなら、彼らの落ち着いた澄んだ瞳なら、野生を正確にとらえる事が可能だろう。日本列島の北から南へ、尾根から尾根へ、季節の移りに身を添わせ、冬は南へ、夏は東北山地へ、人知れず、里人たちに気配も見せず、音も立てず、一家族ずつの移動、熊でさえ、かの、日本狼でさえ、山人たちを脅かす事は出来なかった。
『遠野物語』や『北越雪譜』に登場する、こういう民話に俺はつまずく、揺すぶられてしまう。体の奥が俺の感性がときめく。憧憬であろうか、そういう時代、そういう状況は山や森や、そして、川が豊かであらねば、もう、二度と現れはしない。そうだ。清流の行き着くところにダムを作り、海という巨大な自然体と、山という不変の生命体の間に赤信号を取り付けてしまった。人間の返すがえすも悔しい愚かな過ちを、この先、二度と繰り返してはいけない。間違いを認めなくてはいけない。

月は卵の黄身を想わせ、うすく柔らかい。
サキソホンのラッパの形だ。夜は深まってはいるが暗くない。
川は薄く、軽く、貧しく流れる。
俺は一番薄いリードに変えてサキソホンを吹く。中音から高音へ、薄く貧しい川に合わせて思い切り吹く。高く、軽く、薄く、音は飛び散る。そうだ、散るんだ。跳ね返るのだ。サキソホンは川の底に、そうだ、音色は刺さるのだ。
俺は吹くのをやめ、月と川を眺め、手の中の冷たい丸いサキソホンの曲がりを指でなぞっている。どうなんだ。再び川は流れるか、元のように豊かに深く重く、一目置かせるほどの流れになるのか。そうだ、俺のサキソホンが思いっきり強く深く光る矢みたいに飛び出しても、水は満ち足りて川一杯にみなぎり溢れ、川の命は声もない雄たけびを上げている。そんな川にもう一度戻ってくれ、そうしたら、俺も再びサキソホンをサキソホンの雄たけびを川の命に降り注いでやるから・・・


( 評 )
 冒頭から独創的な展開となる。川・生き物・自然への思いを、独特の感性でとらえようとした意欲作であるが、センテンスが長くて少し読みづらいという恨みもある。

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