随筆・評論 市民文芸作品入選集
特 選

ゴンタ
平田町 鎌田 淡紅郎

 滋賀県からは遠い出羽の国に生れ育って、近江の職場に赴任して、一番先に覚えた近江言葉はゴンタであった。あるいは広く関西で使われているのかも知れない。正確な意味は分からなかったが、その意味は何となく理解した。

 私はこの三月に入ってから、介護保険の介護度1に認定され、施設でデイケアサービスを受けている。私のケア目的は、背中が痛くて胸部の圧迫骨折と診断されたからである。入院して痛みは和らいだ。しかし腰に痛みが残っているためリハビリを受けて順調に推移したため、それに引き続く治療として施設のリハビリの理学療法に移った。このデイケアサービスは朝九時から夕方五時頃の送迎が有難い。それに同病の人たちとの交流も生活に彩りを添えているような気がしている。
 デイケアに通ってから、二回目のことであった。そろそろ帰る時間に近い午後四時ごろ、全体をリードしている介護指導員の人が、帰る前の体操の指導を始めた。この体操が終わると、それぞれのバスや車で自宅まで送る仕組みになっている。
 その体操の最中に、指導員の人が傍のテレビを指さして、「これは他所のデイケアの体操です。みんな暫くご覧下さい」と言って手を止めた。その時である。後の方から「体操をやれ」「体操をやれ」と、野太い怒鳴り声がした。傍の男の人がたしなめていたが、同じ言葉を繰り返した。もう終わりの時間で、早く帰りたい気持が強くなったのであろうか。
 指導員の女性もちょっととまどいの様子をみせたが、男の抗議は続いた。私はどこにでもゴンタはいるものだと思い、その男の横顔を見た。眉は太く、鼻もがっちりして、立派な顔立ちの人だ。デイサービスに通う前ならかなりの迫力であったに違いない。
 指導員の人は馴れているのか落着いた態度で体操を終わらせた。
 次のデイケアの日は、その男と同じテーブルに配置された。前に横顔を見たように男っぽい立派な顔立ちで迫力さえ感じた。
 昼食の時になって、一人一人に膳が配られた。その人が同じテーブルでは一番早かった。早速その人はソーメン入りの椀の清汁〔すましじる〕を飲もうとして椀に左手をかけて持ち上げようとしたが、とたんに椀から汁をこぼして、ソーメンが膳の中に流れ出していた。早速傍に寄り添っていた介護の人が、ズボンを拭いてあげて、改めて汁を飲ませていた。男は照れくさそうにして介護の人のなすままにしていた。右手には指全体を使って握るフォークがあり、これも介護の人の手を借りて、大根や人参を差して口に運んでいた。これでは他の人の手を借りなくては食事はできそうもない。
 そんな様子をそれとなく眺めている時、汁椀を持とうとした左手の親指と人差し指は第一関節から先がないことに気付いた。先が丸くなっている。それでは汁椀を持ち上げることは難しい。それを片手で持ち上げようとしたため椀を傾けてしまったようだ。
 その手の具合をつぶさに見てしまった私は、見てはいけないものを見たような気がして、視線を移したが、その男の視線は私の移しかけた視線をとらえたようだった。私も気まずい思いであった。
 この男のゴンタの元を見てしまったのだ。
 何歳ぐらいの時の障害であろうか。いずれにしても、二本の指の障害は、どんな仕事であれ、技術のいる仕事であれば致命的といってよい。全身を動かす労働でも、この障害はやはり大変なものであろう。この人の若い時からの仕事ぶり、生活ぶりを想像してみると、私などの想像を越えるものがあったに違いないことだけはおおよそ理解できる気がした。
 男っぽい気性で、人の同情や助けを借りたくなかったら、自分を強く見せるしか仕方がなかったのだろう。ゴンタの元はここにあった。
 そこまで私の思いが広がると、私にはいとおしさのような気持が湧いてきて、次にデイケアで一緒になった時は、将棋の申込みをして、相手になってみようかという気になった。ゴンタはどこの土地にも、どこの職場でも見かける。中には最も弱い立場にいるはずの病院に入院している患者の中にも見られる。
 私が生涯の中で、最も強く印象に残っているゴンタは、第二次大戦が終わったフィリッピンの捕虜収容所の中の一人であった。この人は外の人が労働に狩り出されても、一人だけ幕舎に残って寝台に腰を下ろして、作業に出る人を見送っていた。夕方、作業の人が帰ってくると、その人の周囲には何人かの人が寄って支給された煙草やくすねてきた缶詰をネタにした賭博を仕切っていた。その背中には見事な大蛇の刺青がのぞいていた。


( 評 )
 デイケア・サービスで出会った、ある「ゴンタ」の仕草と彼の心の中に隠された人間としての寂しさを、作者は優しくそして細やかに見つめている。「次に一緒になったときには将棋の相手になってみようか」というあたりに、書き手の暖かな人柄が伝わってくる。

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