随筆・評論 市民文芸作品入選集
特 選

干し柿
佐和山町 松本 澄子

 霜月半ばになり北風が吹き始め冷涼になると、我が家では、霜月の行事として定着した橙色に色づいた蜂屋柿の干し柿作りが始まる。
 柿採りの日は、一家総出で久し振りに活気づく。七歳の孫の隆ちゃんの応援もうれしい。
 喜々として数を数えながら右に左に、そして、南に北にとかけずり廻りながら柿を拾い集めるのは、もっぱら隆ちゃんの役目、娯しみでもある。
 高取鋏を巧みに使い、吊り下げる蔕〔へた〕の部分をT字形に柄をつけて収穫するので、随分時間を要し、常に柿を追いながらの作業で目や首そして、手をその時々に使いわけながらの根気のいる作業である。
 昨年の冬に、時間をかけ剪定をしたお陰で、今年はどの柿の木も適正着果量で粒も大きく娯しみである。夕方、大きな長方形のカゴ五杯の収穫に自然と笑みがこぼれた。
 ぎ取った柿は、すぐに熟れるのでその夜、主人と二人で早速柿を剥く。
 夕食を早目にすませ、義父から受け継いだ久し振りの夜なべ作業に気持ちが昂〔たかぶ〕る。
 少しでも柿を薄々に剥皮するために、柿専用の細い真竹で作った箆〔へら〕状の皮むき器を使う。
 左手で巧みに柿を回転させながら蔕にそって剥く。少し熟れた柿は、柿むき器も滑りにくく、柿がくずれてしまう。義父は、どんな柿でもいたわるように、黙々と手作業に専念されたが、時間を優先する私は、即、没にして主人に笑われる。年齢は重ねたがまだまだ義父には近づけない。ひたすら柿を剥く。
 三籠剥き終えた時は、夜十二時を過ぎていた。
 以前、新聞で得た知識であるが、柿は、東アジアの原産果樹であり、その種類は三〇〇〇種以上に及ぶという。その中の「堂上蜂屋柿」は、岐阜県が原産の干し柿専用品種であり、近県であるせいか彦根では、干し柿の大部分は蜂屋柿であるときく。
 肉質が粘質で可溶性ペクチンが含まれ、繊維や種も少なく、その上、何よりも渋がぬけやすいのが特徴であると義父が、自慢していたのを記憶している。
 剥皮した柿は、重量の均衡を保つために同じ大きさの柿二個を使い、棕櫚〔しゅろ〕の葉を細く裂いた紐でT字の部分にひっかけ、雨の当らない軒に陽がまんべんに当たるように干す。
 紐の長さを整えているので柿が、整列しているように見え三段の竹竿にかけ終えると、まるで柿のすだれを見ているようで見事な先人の知恵に感心しながら暫く見とれる。

家ごとの軒につるせし干し柿に
 陽はあたたかく照りて色ます

 つきさすような霜月の風に一週間程あて、脱渋中に少しずつ果皮が黒く変化し乾燥するごとに飴色に仕上っていく。この時期に気温が上昇すると、即、青カビが生えるのでとても心配である。今までの幾多の労苦が全て無駄になってしまう。干し柿造りで一番苦心する時期でもある。
 地方によっては、この時期、安全な硫黄くんせいや火力乾燥(煉炭)が施されるようだが、どうしても甘味が抑えられ、しかも、多少臭いも残るようだ。我が家でも過去テレビで知り、剥皮した柿を熱湯に数秒つけることを数回試みたが、これも青カビに負けてしまう。
 柿を一瞬、酒に浸すことも試したがカビは生えなかったが、しかし、数ヶ月経過しても柿は軟らかいままで、干し柿の味もなく誰も食べずの苦い思い出がある。
 数次にわたる苦心の末、剥皮して二週間経過した柿に、少量の酒をやや荒い服刷毛程度のもので、果面全体を軽くブラシングすることでカビを押さえることに成功し、近所の人達にも教えてあげ、無にすることはなくなった。
 天日乾燥の日数は、気象条件、干し場の条件、柿の大小などによって異なるが、三週間程度で柿全体が少しひきしまり、縦縞〔たてじま〕を数本作るこの時が、一番おいしい食べ頃でもある。
 一口食むと甘い干し柿独特の郷愁をさそう香りが、口の中いっぱいに広がり、充分に舌を満たせてくれる。いつまでも舌の上にのせておきたい自然の甘さ、素朴な田舎の味である。
 初冬、柿の裸木の枝に赤い柿の実が、枝いっぱいに寂しくとり残された風景は、自然の恵みを素直に感謝、享受できない飽食に明け暮れ、利便性だけを求めている現代人の姿を見ているようで何ともわびしい。
 義父が残してくれた貴重な柿の木畑。失われてゆく素朴な食文化や培った知恵や技術、生きている素晴らしい大地を守り伝えてほしいと、満ちたりた顔で干し柿を食べる孫に、熱い想いを馳せずにはいられない。


( 評 )
 干し柿のさまざまな苦労や楽しみをテーマにした作品。あわせて、義父や孫への思いも綴られている。「赤い柿の実が枝いっぱいに寂しく取り残された風景」への作者の気持ちに共感させられる。

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