随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

台 風 禍
佐和山町 松本 澄子

 畑の中を見た一瞬、足の力が砕け腰がぬけてしまった。
 台風六号が近畿を直撃した被害は、まさに地獄絵を見るような畑のありさまである。あと十日もすれば食べられると思っていたトウモロコシ百本は、全て地面になぎたおされて泥をかぶってしまった。このトウモロコシは、孫の隆ちゃんの大好物で楽しみにしていたものである。支柱が重たいと悲鳴をあげるほど、どっさり実をつけたアメリカ豆も支柱もろとも地面にたたきつけられている。
 西瓜も強風によって葉はもぎとられ、ボール大に育った西瓜は、恐怖におののき白く歪んで見える。
 トマトの木も今にも倒れそうな支柱に、青いトマトの実を沢山つけて必死にしがみついている。まさに「助けて!」といわんばかりの悲鳴が聞こえそうだ。ナスは、支柱にしっかりしばられていて、抵抗もできずに強風をもろに受けた葉っぱは、全て破れて哀れな裸の姿になっている。
 充分にしめりを含んだ畑の土は、靴底にくっついて、歩くたびにまるで鉛の塊を引張っているように重く感じる。
 六月としては、異例のことである。台風六号は、四国・近畿地方を縦断して日本海を北上し各地に大きな被害をもたらした。
 熱帯地方で発生した台風は、太平洋高気圧の西側のヘリに沿って北上するが、この時期は普通、フィリピンから中国大陸方面に進む。しかし、今年は、太平洋高気圧の張り出しが東に偏っているために、日本列島に向うことが多いと新聞は報じている。
 私は、台風の前日まで畑に通っていた。汗を流せばその分、応えてくれてしかも自然の恵みを受けたなかで、人の心をいやしてくれた野菜のかずかずである。
 今年は、過去の経験プラス農協指導員の知恵や技も結集した野菜作りであった。
 しかも、地球温暖化が進み近年では虫の被害も多いが、なるべく農薬にたよらない安全、安心に配慮しその上おいしい野菜を家族に食べさせたい一心からの工夫もした。
 虫の嫌うタカの爪や柑橘類の皮を乾燥させ、みじん切りにしたものを野菜の根元に蒔き、虫の防除に極力つとめ環境こだわりの野菜作りでもある。
 いつまでもくよくよ災害に負けていられない。早く元の姿に戻してやりたいとあくる日、広さ五アールの畑は、強風で転倒した野菜一本一本丁寧におこし、根元に土を盛り敷わらで保護したり強く靴で根元を踏みつけて根や茎を安定させてやるのに日もすがらかかった。
 よい野菜を作ろうと信念に燃え納得できる仕事をしただけに、食を支える誇りも収穫という喜びも良い野菜を作る達成感も充実感も味わえず悔しい。
 でも全国では、台風で復興のめどさえたたない人々も多い。
 大打撃を受けた豊岡市の円山川と出石川の堤防の決壊時は、まるでバケツを逆さにしたような雨の降り方であったと住民の言葉である。五十ヘクタールの水田の全ては冠水し、出荷前のコメ七百袋近くがダメになり、農機具の全ては被害を受けたという。
 又、安寿と厨子王で有名な由良川も川が氾濫し、八雲地区の人々は、自宅の二階が生活の場となり、年が明けても倒壊したハウスの撤去作業は終らないだろうと、住民は悲痛な面もちで語る。土の色まで変わってしまい、もう一度土作りから始めなければならない状態であるという。
 毎年、天候が平穏無事というのはむしろ珍しいが、今年ほど日本列島に十個の台風が上陸というのも珍しい。
 十二月、朝刊を広げると「台風、はるか沖縄南東に発生」の見出しで、台風の進路が北をさしている天気図が目にとびこんできた。
 次々とおそいくる台風、自然や環境の異常を告げる警鐘なのだろうか。
 集中豪雨禍は、人間生活基盤を根底から破壊するような惨状で、自然の力の脅威には、どうすることもできない人間の力とは、何と無力であろうかと思い知らされる。
 科学は、どんどん発達をとげる中で宇宙にだって簡単に行ける時代である。
 台風を風力としてキャッチできないのだろうか、資源のない日本である。
 何事もなかったかのような青空を眺めながら、ふと頭をよぎった。
 悔し涙が流れた。


( 評 )
 台風の直撃を受けた野菜畑の惨状が描写され、それだけに一層、懸命に野菜作りに取り組んできた者の口惜しさが伝わってくる。現場にあってこそ書けるドキュメントである。ただ、言葉の用い方や表現に推敲を要する箇所があり、惜しまれる。

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