最長片道切符の旅紀行VS最短往復の旅
NHKテレビで、俳優の関口知宏氏が〈最長片道切符〉を使って、日本列島の北から南まで列車で縦断する旅紀行(ダイジェスト版)が放映された。この聞き馴れない〈最長片道切符〉とは、JR路線を使い、
同じ駅を二度と通ることなく、最も長い距離をひとふで書きで進んでいく切符のことである。
旅人は、五月六日に最北端駅の北海道・稚内駅を出発し、最終駅となった九州・肥前山口駅には六月二十三日に到着した。その間、JRの利用路線は一〇五、乗換回数は二二三、通過駅は二八四二、走行距離は一一九六〇キロメートルにも及び、ちなみに運賃は九万八百二十円とのことである。
関口氏は、「世の中はいかに無駄をなくすかということに向っているのに、大いなる無駄をあえてし、遠まわりすることでいったい何が見えてくるのかワクワクする」と言って旅を続けた。番組は、自然豊かな日本列島各地のふるさと風景を織り交ぜながら、車内の様子や乗客の人達との出会い、さらに、途中下車した地元の人々とのふれあい模様など、非常に興味深く見ることができた。自称〈鉄道ファン〉の私としては、私自身が旅している錯覚に陥り、関口氏のワクワク感が私のものと重なってしまった。
関口氏は、多くの人々との出会いについて「出会って話している時点で親近感を持ち、そのうちすぐに別れとなり毎回さみしさを覚える。日常の景色では別れがすぐに来ないけれど、人生全体を見れば出会いと別ればかりであり、この旅と同じである。今は、まだしばらくいっしょにいられると思っている人のことを、空気のように感じているけれど、ほんとうは別れの瞬間が来ることを、強制的に見せられている」と感慨深く言ったのが私の心にチクリと刺さった。
ところで昨年三月、私の父は旅行先の群馬県草津温泉で還らぬ人となり、父の通った観光ルートは、思いがけなく私には遺体引取りのルートとなった。関口氏の〈最長片道〉ならぬ〈最短往復〉の旅に出ることを余儀なくされたのである。
病院の霊安室で父と無言の対面をした時、まさに私はサスペンスドラマの悲劇の主人公を演じていた。すでにお浄土の人となった父ではあるが、私には熟睡しているとしか見えず、すべてを終え満足そうに安らかな寝顔であったことがせめてもの救いとなった。
父は、物心もつかない四歳という幼少で実父を亡くし、青春時代には戦地中国へ出征もしている。戦後間もなく二人目の父も亡くしたが、結婚後、三人の子と五人の孫に恵まれ、亡くなる二週間前には、私の妹の孫(父にとっては曽孫)の元気な顔も見て、もう心残りはないと思ったのであろうか。
父に約束されていた八十年間、多くの人々と出会いと別れを繰り返し、人生という旅をしてきた父は、父なりに満足したものであったのだろう。終焉の地を大好きな温泉とし、最後の最後まで生ききり文字通り完全燃焼した幸せな人であると、私は断言したい。
関口氏の言うように、私も家族も、父とはまだしばらくいっしょにいられると思い、まさに空気のように接していた。父は、介護の世話を受けたこともなく、また病に伏していたのでもなく健康であっただけに、全く予期しない突然の強制的な別れの瞬間を体験した私の家族、とりわけ五十数年つれ添った母の戸惑いは筆舌に尽し難い。父は自ら身をもって、私達に、人との出会いは常に一期一会と心せよと教えてくれたのである。
関口氏は、一カ月半以上の列島縦断の旅の全行程を終え、「今まで出会ったものはすばらしいが、全部サワリでカジリにすぎない。まだお前の知らないことがたくさんあるんだぞと知らされた。最終駅で〈無効〉の印を押されたのはショックだが、それは〈見えないスタート印〉なのだ」と言い、この旅紀行が自分にとってかけがえのない宝となったと締めくくり、感きわまった様子が伝わった。
人生は旅に喩えられる。私達は人生という旅をしている旅人だから、様々な人々と出会いそして別れがある。旅を終えた関口氏が、私にはひと回り大きく見えた。人はやはり旅をして大きくまた強くなる。これが〈生かされて生きていく〉ということなのであろう。
私は、この旅紀行から大きな感動を得たことはいうまでもない。私の体験した〈最短往復〉の旅はこりごりだが、いつか〈最長片道切符〉で自分を見つめなおす旅に出てみたいものである。今後、JR線のいくつかが廃線となり、ひとふで書きでつながらないこともあるので、一刻も早く実行した方がよいのではないかと思いつつ、番組の余韻を楽しんでいる今日この頃である。
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