ほぐれた心
花屋のショーケースの中には、四季を問わず、太い首をピンと伸ばしたバラたちが、整然と並んでいる。気品に満ちあふれた、女王のようなバラたちだ。
私が自宅の庭で育てている二十株のバラは、切り花向きに改良された、病気や害虫に強い「現代バラ」ではない。切り花にすると水上げ悪く、病気にも害虫にも弱いバラたちだ。あの、マリー・アントワネットも愛してやまなかった、古き時代の「オールドローズ」「イングリッシュローズ」と呼ばれるバラたちである。
ろう細工の様な花びらが五十枚ほどの現代バラに対し、私のバラたちは、二百枚から三百枚の薄い花びらがクルクルと重なり合って、一つの花を作っている。
そのくせその花首の茎は細くて、みんな大きな頭をもたげながら、うつ向きがちに咲く。その控え目な姿が何とも愛しい。
愛しい分、雨降る朝はとても気が滅入る。雨水を含んで一層重さを増した頭を支えきれずに、花首が折れてしまうバラが多いからだ。何カ月もかかって、わざわざこんな雨の日に咲く運命だったのかと、かわいそうで仕方ない。けれどもバラたちは、不平も言わず、その運命を受け入れ、ただただ咲いている。
現代バラが室内を飾る女王だとしたら、私のバラたちは、風の似合う妖精たちだと思っている。
二十株のバラのうち、多くの花を一度に咲かせるつるバラが五株あるので、ザッと数えても春には二万個以上のつぼみが花開く。そのため春は、朝から大忙しだ。
昼間は土中に姿を隠し、夜になると這い出して、若い葉やつぼみを食べる虫がいるため、夜も庭に出て見回りをする。夜の庭は、昼の庭とは違った表情を見せる。人の目から開放されたバラたちが、ヒソヒソと内緒話をしているようだ。
夜の風に揺れる花芯からは、昼よりも強い香りが漂う。紅茶によく似たティー系の香り、フルーツ系、スパイス系の香りが入り混じり、私の鼻をくすぐる。明日も沢山の蜜蜂がやって来るであろう今はまだ固いつぼみを、そっと両手で包んで頬に寄せる。
親指の先ほどのつぼみが、翌日には大きな花に変わる。どこにどうしてそんなに沢山の花びらを隠しているのか、今だに不思議でならない。まるで手品のようだ。
固いつぼみがほころぶ様は、心乱れて泣きじゃくった後、ふとある方向に光を見つけ、そちらへ静かに歩き出す時のような、心ほぐれる姿に見える。庭のここにもあそこにもほぐれた心が。私もそんなふうに、一つづつ心をほぐしながら、優しい人になりたいと思う。
冬は春とは別の意味で、とても大切な季節だ。この時期の手入れこそが、春の花の大きさや数に深く関わっている。
特につるバラは、すべての枝を一旦ほどき、古い枝と新しい枝を交換させ、もう一度支柱に巻き付けなければならない。三メートル以上の何本もの枝には、枝のみならず、残っている葉の裏にまでトゲが付いているものもある。軍手などはめれば、逆にトゲが絡んで作業しにくいので、私はいつも素手である。
「ツーッ」
その痛さに思わず声を出す。指先から血がにじむ。傷だらけの手は、感覚を無くしそうに冷たくなっている。
「バラが趣味です」と言うと、多くの人に「ロマンチックですね」とか「お嬢様の趣味ね」と言われる。「この無数の傷と、したたり落ちる鼻水を見よ」と、恨めしく思いながら、体に跳ね返る枝と格闘する。
この冬、私が初めて育てた黄色いバラが、病気にやられているのを見つけた。地ぎわ部分にコブができる致命的な病気だ。これにかかると、土ごと処分するしかない。
紫色のテッセンの花の横が彼の指定席だった。他のバラが咲き終わる六月、テッセンに合わせる様に咲き始め、お互いの色を引き立て合っていた。ごみ袋から覗く彼の体には、この春、花を咲かせるためのふっくらとした赤い新芽がたくさん準備されていた。
私は故・鈴木省三氏の言葉を思い出した。現代バラを交配させ、数多くの新品種を世界に送り出した鈴木氏。その過程には、処分しなければならないバラが無数にあった。彼はその際、「焼いて焼いて焼き尽くす。形が少しでも残るのは嫌なんだよ」と言った。何て優しい人なのだと思った言葉だ。
今、その黄色い「彼」が居た場所には、二代目の同じバラが新芽をふくらまし、他の仲間と一緒に春を待っている。
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