随筆・評論 市民文芸作品入選集
入 選

猫好き一代
稲枝町 山本 正雄

 八月二十日、我が家の猫が病死した。翌日近くの墓地に葬り、在所のごえんさんを頼んで仏前に於て一巻のお経をあげてもらった。九年余りも飼っていただけに家族を失ったような寂しい思いもしたが、一方では、高齢となった飼主の私よりも猫が生き延びた時のことを考えると、これで良かったのだという安堵感もあった。
 この猫は母親からはぐれて、前裁の茂みにうづくまっていたのを拾い上げ、その頃家に居た雌猫と一緒に飼うことにした。掌に乗る程の子猫はこの猫を母親と思ったのか、腹部にもぐりこみ乳房をまさぐってしきりに吸った。おとなしい雌猫はわが子のように子猫をなめ回して毛づくろいするのだった。子猫は発育が少し遅れていて時々体調を崩したが、一応順調に育った。
 それから一年経って、我が家は古くなった畳を入れ替えたが、それを機会に猫を家の中には入れず納屋で飼うことにした。親子のように仲良くしていた雌猫はすでに居なくなっていたので、残ったこの猫だけは家出しないようにと首輪をはめ紐に繋いだのである。折角新しくした畳を引掻いたり、ぬかるみを歩き回った泥足で上がって来ることもなく、気が楽になった。
 私は時々紐に繋いだ猫を納屋から出し、飼犬のように家の周りを散歩させた。猫は喜び勇み、小さな体でもこんな力が出るのかと思うほど強く引張り、先に立って歩いた。
 猫が死んだ今になって、長い歳月を繋ぎ放しにして自由を束縛したことに、悔恨の思いが頭をかすめた。猫はいつも紐の長さだけ納屋の外に出て、前に広がる畑を眺めていた。時おりやって来る野良猫が蝶や蜻蛉〔とんぼ〕を捕えて戯れるのを、どんな思いで見ていたのだろう。自分も畑の中を自由気侭に走り回り、遠くへも遊びに行きたかったに違いない。可哀想な一生ではなかったか。しかし、生まれつき病弱な猫が拾われずに、あのまゝ野良生活をしていたなら、到底いままで生き延びることは出来なかっただろう。我が家で可愛がられて暮らせたのは幸せだったのだと自らを慰めているのである。
 最近の日本愛玩動物協会の調査によれば、ペットの犬や猫も人間にあやかってか長命となり、猫の平均寿命は十年前の約二倍九・九歳にもなったという。九歳で死んだわが猫はほゞ天寿を全うしたと言えるだろう。
 いまふり返ってみると、我が家の家系は代々愛猫家であったらしく、私が物心ついたときすでに猫が居た。私一代にどれだけの猫を飼ってきたことか、身の回りに猫の居ない生活は無かったように思う。そしてその何匹かの最後をみとったのである。
 近年はペットブームといわれ、ペットショップで買い求めた高価な猫を飼う家庭もあるが、我が家で永年飼ってきたのは何処にでも居る珍しくもない猫ばかりである。言わば何れも野良猫上りで、名前など付けたこともなく、どの猫も「おてい」としか呼んだことはない。
 昔は当地でも多くの農家で猫が飼われていた。収穫した穀物を食い荒らす家鼠を退治するためである。かつて鼠は猫にとって最高のご馳走であったが、いまどき鼠など好んで食べる猫は居ない。栄養豊富な餌が買い与えられて、現代の人間と同様に飽食に馴らされたせいだろう。
 その頃、猫を飼っていて最も恐れたのは、猫捕りの横行であった。猫の皮は三味線に使用されるため高価で取引されていたらしい。狩人が在所を歩いている情報が入ると、外へ出ないよう注意したが、油断して一度我が家の猫も犠牲になった。畑の日溜りに寝ているのを見つけた狩人は、猟銃で撃ち殺して持ち去ったのだ。あっと言う間の出来ごとで、幼い妹は泣いて悲しんだ。
 農家では田畑の作物を荒らす野鼠にも困り、年に何回か駆除作戦を行った。殺鼠剤を入れた団子を作り、野鼠がねぐらとしている畦の穴に入れに回ったのである。この毒団子を食べた鼠を猫が捕えて食べ中毒死したことが何度かあった。泡を吹いて苦しむ姿を見ると、生き物はもう金輪際飼うまいと思ったが、何処そこの家に子猫が生まれたと聞けば誰言うとなく、その子を貰い受けてまた飼い始めるのだった。
 近年、飼育に飽きた動物を放置して野生化させたり、保健所へ持ち込む人の居るのは嘆かわしい。どんなペットでも飼った以上は最後までその面倒を見てやるべきだろう。
 私は日本人男性の平均寿命をとっくに越し、日々健康に気遣いながら暮らしている。ペットの飼育はもう無理だが、猫好きは年老いた今も変わらない。近くにやって来る猫を見れば呼び止め、ビスケットの一片でも投げ与えて、その行動を眺めている今日此頃である。


( 評 )
 ペットブームに潜む人間の勝手さは、指摘され始めてから久しい。筆者は紐に繋がれた我が飼猫を切なく思い、かつ自らを納得させ慰めている。かつての「猫捕り」の横行や「毒団子」の挿話を入れて、読者に世相の変化を考えさせる。

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