川鵜と白鷺
昨年のお盆過ぎのことである。所在がないままに家を出掛けてみたが、決め手のないわたしの足の赴くところは芹川堤である。そしてそこしか行くところがないと家の者に笑われながらも、狭い路地でも頭の上から落ちてくる強い太陽の光から早く逃げようと、芹橋の左岸のたもとから堤の散歩道に足を踏み入れていた。そして立ち並ぶ樹齢数百年といわれる欅の木の太い幹の陰に入ると、まず頭の上から蝉の大合唱が落ちて来た。しかし盆過ぎといってもまだ日中である。風もあまり川原を涼しく吹き渡っていなかったためか、わたしのようにのんびり歩いている人の姿はほとんど無かった。
ところでこの日は家の者が笑っても、誰がどういう巡り合わせをわたしに与えてくれたのであろう。それは一つ下の後三条橋の近くまでゆっくりと歩き、またその日は珍しく釣りをする人もほとんどいない芹川に目を落としたときである。意外な光景をそこに見たのだった。そんなに広くない川幅だが、浅くゆるく蛇行して流れている水際まで生い茂った雑草の中に、いつもはあまり群れていない白鷺が多数あつまり、何か川の流れの中に浮いている黒い鳥と向き合い飛び上がり突つきあっていたのである。よく見るとその相手は、わたし自身これまで芹川では一度も見たことのない、黒い羽をした数羽の川鵜であった。そしてこんな光景を見たのもまったく初めてであった。
すっかり散歩していることも忘れて立ち止まると、川がわに設けられた木の柵にもたれるように手をつき、さらによく見ようと体を前にかがめたときである。また一羽の白鷺が大きく羽根を広げて飛び上がると、流れの中に浮いている鵜の頭の上ちかくまで舞降りて来て突っこうとしたが、相手も素早く水の中に潜るとうまく流れの中に逃げてしまった。おまけに水が奇麗なものだから、水中を魚のように泳いで逃げる川鵜の姿は、まったく鳥とは思えない姿でわたしの目の中に飛び込んで来たのだった。
さらに興味を引かれて見つめていると、やはり数には鵜たちも勝てないのだろう。だんだんと一つ下の後三条橋の方まで追い詰められて行く。だが橋の下からすこし浅瀬になっているのか、流れの中にたくさんの小岩の立っている姿が見えてくる。とうとうもう潜って逃げられないと思ったのか、かれらはまた頭を並べて逆に上流の方に向かい始めた。これを見た白鷺の方も、あわてて飛び立ちまた水際近くまで追いかけて鵜の頭をつつこうとする。しかし相手はまた素早く水に潜り、水際まで生えていた草むらの根元などにも隠れるようにして逃げてしまう。
わたしはそこまで彼らの戦いをただ面白いというだけで見ていたが、ふと過日松原海水浴場の沖合いに、まったく空をすっかり覆うように飛んでいた川鵜たちの大群の姿を思い出したのだった。そして初めて見る数知れない野鳥である鵜の大群に、何かしら得体の知れない不気味な恐れを感じたことであった。そして口にしたのが、
「生存競争だ。とうとうここまで来たか」
という言葉だった。
しかし、またいつか別に川鵜の事を紹介していた新聞の記事を思い出した。
「川鵜は鮎を多量に食べ、ふんで木を枯らすが、秋冬はブラックバスなどが主な獲物。全国で六万羽、うち四万羽が琵琶湖にいる。しかしそのふんは生物に必要な冨栄養化物資リンとなり、年トン単位で陸に運んでいる。しかしいったん流失して陸に戻るのには地質学的な時間が必要、鳥は飛ぶという能力で・・・」
と、だがそれは自然に生きている川鵜をただ人間の目と頭で考えついたもので、かれらにとっては何の興味も欲望もないものである。かえって自然に生きようとはせず、人間はむきだしの欲望と理屈めいたことばかりだとまで思いが至ったとき、そこでぷっつり切れるように急に川中の情勢は変わって来た。
それは最初わたしが見た場所まで川鵜たちが逃げ戻ったとき、上流の方から二羽の仲間が加勢のように飛んで来たのであった。これは面白い。これからどんな修羅場を繰り広げるのだろう。こうなればわたしの方が、自然な生存権で生き延びようする川鵜より、勝手な欲望を剥き出しにしていることも忘れてしまっている。しかし後から加勢に来たと思った二羽の川鵜は、何を仲間たちに合図したのであろう。羽を広げて威嚇している白鷺には目もくれず、直ぐにまた上流の方に飛び出すと、他の鳥も一斉に水の中から羽根をひろげ、そろって上流の方へ飛んで行ってしまったのだった。
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