随筆・評論 市民文芸作品入選集
特 選

菊に学ぶ老いの人生
稲里町 赤田 恒夫

 菊育てに取り組んで以来早や二十余年、八十路の身乍ら、今も大菊を中心に、懸崖、盆栽菊など約二百鉢を育て楽しんでいる。菊から貰う活力のお陰か、在職時代、時折り発作を起した狭心症もすっきり影を潜め、風邪一つひかず感謝の日暮しである。
 菊は、何とも不思議な植物で、幾年続けていても一喜一憂の繰り返しで、菊花展でも上位入賞する年もあれば、入選どまりの年もあり出来栄えは一律ではない。
 それでも菊育てが止められないのは、菊の気品さ、奥の深さなどと共に、地元の学校、老人福祉センター、寺院、隣家などへ数鉢宛差し上げ喜んで頂くことに、無上の幸せを感じるからである。
 老妻は『あんた、齢のことも考え、鉢数を半分にし、その分、野菜作りに力を入れてよ!』などと、小言交りの忠告をしてくれるので、今年は、鉢数を少し減らそうとは考えているが、仲々一気に半分には減らせそうにもない。
 ところで、菊育てで最も気を使うことは、菊にはどの花にも人間同様に「名前」が付けられていて、花の色はもとより、丈、葉の形、根の強弱、開花期など百花百様の違いがあり、その性格をしっかり頭に覚え込まないと、一蓮託生の菊育てとなり、立派な花は咲いてくれない。つまり、三十品種の菊を育てることは、三十人のそれぞれ異なる性格に、如何に仲良く付き合うかと同じである。
 特に、近年は地球温暖化による気象異変が激しいので余計に苦労する。あれやこれやと菊の喜ぶ環境などにも気を使いつつ子育てのように一所懸命無心になって世話をしていると、菊も「私は暑がりだから、もっと涼しくして」とか、「水やりが多くて溺れそうよ!」などなどテレパシーを肌で感じる。
 また、菊育ては「年中無休」のマラソン競技のように、年中次から次へと作業が続き、他の草花や野菜育てでは味わえない楽しみが満ち溢れている。例えば、花が終ってから、来年に向けての越冬株の手入れ、腐葉土の仕込み、挿し芽、小鉢上げ、定植などなど、年中、観・感・勘を働かせながら走り続けることによって、菊への愛情や技法も深まり、えも言われぬ愛着と漲りを覚える。
  「継続は力なり」の言葉どおり、長年菊と付き合っていると、土壌の良し悪し、水や肥料の与え方、陽の恵みの授け方、またこれらによる菊の生長具合など、自然の摂理や植物成育のメカニズム迄解って来るような気がする。
 特に、数年前から使用し始めた「E・M」(土壌改良剤)で麹培養土を作っているが、出来上がった土は麹の匂いがぷんぷんして、自分の生命〔いのち〕まで甦るような爽快さと共に、菊の出来具合も以前より安定した気がする。
 つまり、菊は総て人間が作り育て咲かせる花ではなく、菊自体が持っている生命力の手助けに努力と工夫を授けてやっているに過ぎないという出しゃばらない平常心が大切で、このことは、最近乱れつつある子育てについても同じことが言えるのではないかと思う。
 さて、目下、ブームを呼んでいる一文字菊に因んで、菊の歴史と「菊花紋」について少し触れてみたい。
 菊は奈良時代中国から延命長寿の薬草として日本に持ち込まれ、平安・鎌倉時代頃から皇室や公家を中心に鑑賞花となり、後鳥羽上皇は、衣服、刀剣、車、懐紙にまで菊の紋様を用いられ、続く代々の天皇もこれに習い、この頃から「菊花紋」が皇室専用の紋章、即ち「十六重菊紋〔かさねぎくもん〕」となったようである。
 また、延喜、天暦の頃には「古今集」「枕草子」などにも菊を詠じた和歌や記事があり、江戸時代の「菊譜百詠図」や元禄の「いなで草」などでも武家の菊の普及振りが記されている。
 ところでこの菊花紋は、賜紋の形で、勲章のように皇室から公家、将軍へ、公家、将軍から武士・文人等へその功労に対し、少し宛形を変えて下賜され、その総数は百六十種とも言われている。
 しかし、明治政府が確立すると、皇室以外では菊紋の使用が禁止され、皇室は十六弁菊章が、皇族共通は十四弁裏菊となり、各宮家、元皇族方も菊に因んだ紋章を用いられることに改正された。
 一九七二年発刊のルース・ベネディクト著の『菊と刀』に読む日本文化型記事は、たしかに戦時中は、皇室と武家(軍隊)を中心に書かれたものであるが、戦後は大きく様変りし、過去の文化史と言える。
 いずれにしろ、菊は古来から慶びにつけ、悲しみにつけ、多くの儀式に用いられ、又秋を彩る花として、更には日々の心を癒す花として、広く親しまれ愛されている。私も余命少ない身であるが、多くの菊仲間や、大自然の恩恵に感謝しつつ今後も菊育てを楽しむことができれば、これに勝る幸せはない。
“「菊」と書く只一文字に力込め余生を菊の如くに生きむ”


( 評 )
 菊作り二十年余の経験が、文章に滲み出ている。菊作りと子育てへの深い洞察をさらりと論じたあたりは、人生経験の豊かさを感じさせる。菊の歴史、種類などに言及し、筆者の思いが込められた自作の短歌で締め括って、余韻を残す作品となった。

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