小説 市民文芸作品入選集
入 選

「山と川」そして里
日夏町 小林 勝一

 山があり、高きから段々と高さを下げ、山の奥行きの深さをボリュームを少量にしながら一つ谷、一つ崖をズルズル這い降りながら郷へ里へとつながっている。そして里を見守る位置に大きく立てまわした屏風みたいにすっきり切れている。そこで山は途切れて大概はお宮さんがある。社は隆々たる大木に覆われ、昼なお暗くうっそりと隠然と聳えている。
 まるで山の神からここから人の里についての全ての事柄の引き継ぎを受け、その仕事の大切さに怯える弱き神のように。そうして昼なお暗き社殿に、自らの受け持った範囲の守護を鎮守を果たすべく、今はあくまで静かに、少しずつ少しずつ力を蓄えているのだった。
 そして山と里をつなぐ川。山で生まれ里を貫き海まで届く川。山と川。そして里を限りなく懐かしみつつ、荒廃しつつある山里にある思いを三話にしてみました。拙い文かもしれませんが私の六十四の想いです。

 
 りんりんはいつも散歩のコースの大沼のぐるりを歩いていました。丁度、お昼ごろです。やわらかいお日様が降り注いで、もう、すっかり冬毛の抜け落ちた背の辺りにしみじみと暖かい温もりを呉れています。大沼の水面は波も立たず、ここが住みよいのか、本当なら遠い所まで旅立っているはずの鴨がのんびりと浮かんでいました。四月半ばの山もようやく、辛く長い冬を乗り越え、これから五月、六月と山が笑う、そうです。嬉しい恵み、雪解けのたっぷりの水と、さんさんと降り注いでいる太陽。こういう時は山は笑うのです。山の笑う頃は食べ物も豊富です。美味しい若芽をもりもり食べてりんりんも元気一杯になっていました。散歩のコースは三方から山が迫って来ている。ふくらんだみたいに盛り上がった、山のつながりの草むらの中のウサギ道です。りんりん達は、大沼のぐるりに人間の歩ける道はありますが、そこの所は余程の事がないと歩きません。沼の向かい側は低くて、そのままだらだら下りて行くと里の田んぼや畑があって、人間の家が固まっています。
 りんりんは人間はちっとも怖くないのですが、そこで飼われている犬が好きではありません。大抵は鎖で繋がれているから追っかけて来ませんが、時たま、散歩のときに人間が鎖を解いて運動させるのにぶつかると、りんりんの匂いを嗅ぎ付けて追っかけてきます。でも、いつも、繋がれて運動してない犬に追いつかれるなんてウサギの中には誰も居ません。
 その日も大きい紀州犬にぶつかってしまいました。大昔から続いている追っかけごっこが始まりました。山の斜面をたんたんたんと軽い足取りで登っていきます。十分位で犬は息を切らし、ぜいぜい騒がしい音を立てるようになりました。りんりんは耳を立てたまま走りますから、犬のあえぎ声は振り返らなくても、その距離を測ることが出来ます。一つ目の山を登ってしまうと今度は尾根伝いに走っていきます。犬は登り道が終わり平らな道になったので元気を取り戻して、枝曲がりの松や、熊笹を盛大に騒がせて追ってきます。
 りんりんは余裕で逃げています。全力を出せばすぐに見えなくなるまで引き離せますが、りんりんの計画はこの山の奥のもっと大きく背の高い山に向かって行き、その中程のいばらの藪に犬を誘い込む積りです。それで、その北山と人間が呼んでいる山に犬が付いて来る元気のでるように一度振り向いて口を尖らせて歯をカチカチ鳴らしてやります。犬との距離が縮まりました。あと一息、それぐらいまでりんりんは歯をガチガチ見せ付けてやりました。運動不足の犬は口の周りにあぶくを見せています。北山の登り道は少し急勾配ですが、りんりん達ウサギにとっては坂を上るのはお茶の子さいさいです。犬はもう一息のところまで来たから、りんりんの茶色い背中に噛り付こうと力んでいます。もう、犬の鼻にはウサギの匂いが夢中になる位強烈に刺激しています。遠い昔の人間の供として、狩猟に明け暮れた時代の本能が、追え、追え、噛め、引き裂け、と鼓舞しているのです。
 それでも、長い間に狩猟犬から番犬に、そして、愛玩犬になってしまっては、野育ちものを捕捉するのはとても、出来ないようになっていました。北山の真ん中あたりまで上がってくると、ぐるっと、右回りのカーブで少し勾配が緩やかになってきて、しばらく平らな藪が続くところへ出ました。そこは、りんりん達が、いばらの砦、と名づけている一帯で、低い松の間にいばらの茂みが鋭く刃を尖らせて、点々と生い茂っています。りんりんはこのあたりの地形は知り尽くしております。広い山の斜面の松といばらの間をりんりんは右に跳び、左に跳ね、楽々と駆けていきます。
 犬は一生懸命に追っていました。そうして、少し下り気味のブッシュの中をりんりんはスピードをゆるめて犬のすぐ前を走ります。そして、最後の仕上げにお尻を振りたてて、臭いをまき散らしてやります。犬は真っ赤な目になって、牙をむき出して凄い形相で追っていますが、呼吸は苦しく心臓は踊り狂っています。大昔の狩猟の時代の本能が血を掻き立てるのです。と、その時、りんりんは右に急に曲がりました。そうして、目の前の松の突き出た枝を一跳ねで飛び越えました。犬も同じように飛び越えてきました。りんりんは飛び越えて着地と同時に頭を思い切り下げ、びっしり茂ったいばらの大きな塊のわずかな空間を全身を屈めて地面にすれすれに通り抜けました。一方、犬のほうは下り坂でスピードを出して松の枝を飛び越えて着地したとたんに、その勢いでいばらの中へ突進して行きました。そのあと、犬はひどいことになってしまいました。あちこちが刺のえじきとなってしまい、敏感な鼻先など、ざっくり切れて血がふつふつ噴出します。痛さと、驚きと恐怖にきゃんきゃん鳴いて飼い主の助けを呼んでいます。もがいて、喘いで、犬は夢中で、いばらの地獄から這い出そうともがいていました。りんりんはそのまま北山をもう少し登って行きます。そこに、りんりんのお母さんとお父さんが待っていてくれました。両親はりんりんの逃走をちゃんと見守っていてくれたのでした。危うくなったら、いつでも、飛び出して助けられるように、ずっと近くに居てくれたのです。今日は犬ですが、山にはもっと怖い狐も居ます。北山の向こう側には翼の大きくて鋭い爪でひっさらってやろうと鷲が輪を描いています。犬や狐や鷲や鷹、奴らの狩りが始まると、逃げ込む先は樹木の茂み、深いいばらの藪。神様は野育ちのもののために、速い足と、賢さと、森と恐ろしいいばらをプレゼントしてくださったのです。 

 川 (走れ、メグ)
 メグは保育園の年長さんです。笑うと、とても可愛い、昔、中学の英語の教科書の(ジャック、エンド、ベティ)のベティによく似ています。特に笑い声がころころ、ころがるみたいに軽く弾んで、そろばんをすっと横に弾いた音、そんな感じの明るい子です。
 七月の日曜日でした。この日、メグとパパは暗い内から車で一時間位走った所の山の裾の川原へ来ました。パパの大好きな鮎釣りに一緒に来たのです。「どうして、ママは来ないの?」だってママはメグが三才の時に自動車の事故で死んじゃたのです。それで、メグとパパ二人きりで暮らしています。
 でも、メグはパパのことが大好きだから少しも淋しいことはないのです。お風呂でパパに洗ってもらう時、石鹸の匂いがすると、たまにママを思い出して、そうするとお鼻の奥がつーんとしてきて、メグの身体を洗ってくれたママの柔らかい指なんかも、なんだか、つるつるの感じまで、つい、昨日にして貰ったように思えてきてまた、会いたくなってしまいます。でも、メグは会いたくても泣く顔は見せません。お湯でぴしゃ、ぴしゃと顔を洗ってしまいます。メグがべそをかくとパパがなんか、余計にはしゃいで、わざとみたいに良くお話をしてくれますが、メグはそんなのより普通のパパが大好きなのです。
「暗い内は動かないで居ような」パパは車を駐車場に置いて魔法瓶から熱いココアを入れてくれます。「熱いぞ!」二人はふうふう飲みました。「メグ、眠ければ寝て居ろよ」「ううん、昨日、いっぱい寝たから大丈夫」メグは昨夜、夕ご飯のあとテレビも見ないですぐに寝てしまったのです。少しするとメグたちの周りにたくさんの自動車が集まってきて、なんだか大変賑やかに人が増えてきました。そこは有名な鮎釣りの川なのでパパが、「ここは、大鮎銀座って言うんだぜ」そう教えてくれたから、銀座、銀座、メグはテレビで良く見る東京の銀座のくるくる回ったり、点いたり消えたりする赤青のネオンなんかを見たくて仕方がないのです。そうする内になんとか漁業組合と書いてあるトラックがやって来ました。広場の人達のうち、何人かがその自動車を囲むように集まりました。パパも「行こ!」そう言って道具を担いで、メグもお茶とおにぎりの入ったリュックを背負って付いて行きます。「寒くないか?」パパはメグの顔に笑いながら言いました。パパのそう言う時は目を細くして可愛くてたまらない―そんな顔をしてくれるのでメグはすごく温かい気持ちになれます。「ううんー」夏なのに長袖のシャツと上から薄い薄いビニールの合羽をかぶっているから大丈夫です。パパは漁業組合の車の人に釣り券と囮の鮎を買いました。
 薄青い空が段々と明るく変わって来て鮎がすごく綺麗に見えます。囮の鮎をしっかりと入れ物にしまってパパとメグは駐車場の広場の端から川原の方へ降りて行きました。
「メグ、ゴンタ石の上に乗るなよ」パパは振り向いて言います。「なんで、ゴンタ石って言うの、なんで」メグが訊くと「昔、ゴンタって名の子どもが悪さばっかりして困るから神さまが怒って石に変えてしまったんだよ」「へ〜え、どんな悪い事をしたの?」「なんでも、通る人に馬のうんちをぶっつけたり、木の上から栗のイガをたくさん落としたり、そうそう、メグの嫌いな巳―さんも掴んで投げたって!」「ひやぁー、悪ぅー」ゴンタ石の上は滑り易いから、お気に入りの赤いゴム長でゆっくり、ゆっくり川原を歩きます。
 既に川原には何人かの釣り人がずっと先の方まで並んでいる様子でした。「おはよう!」「おはよう!」みんな朝の挨拶を元気に交わしています。「お嬢ちゃん、おはよう!」大きな髭を生やしたおじさんがにこにこして言ってくれました。「おはようございます」メグも元気に返事をします。ガッツポーズをしてくれる男の子も居ました。
 皆んな何だか嬉しそうで急いでいる様子です。やがて釣り場へたどり着きました。綺麗な水がさらさらと流れています。お陽さんも枝の隙間から眩しい光を届けてきました。水の面がきらきら、ひゅるひゅる弾けているようです。パパは背負っていた釣り道具のリュックを下に置いて、メグに小さい折りたたみの椅子を出してくれました。「メグはここに坐って、まわりが明るくなるまで、あんまり動かないようにー」メグは辺りを見渡すと川原の木の茂りなんかは、まだぼんやりとしてすいすい歩くのは一寸怖いようです。パパは黙って釣り支度を始めました。一生懸命な姿です。メグはそんな時はパパの邪魔をしないように見ているだけです。それでも時々パパは顔を上げてメグの方を少し見て、そして又、釣り糸を竿に結んだりしています。それからパパは胸まで届いているゴム長靴を履いて川の中へどんどん入って行きます。いよいよ釣り始めたのです。「たくさん釣れるといいね!」メグは応援します。辺りはだいぶんと明るくなってきました。
そして、パパの近くの人たちがピチピチと鮎を掛け始めました。太陽さんの当たる所はきらきら、木の陰に入ると青紫の着物の帯みたいにゆらゆら波打って揺れながら水は流れて行きます。「わぁーパパ、釣った!」パパの竿がぐいぐい曲がってそれから鮎がびゅーと飛んできました。パパはメグが背中から見ているのは判っているので、後ろむきのまま指でいつものパパサインを出してくれます。人差し指と中指をちょきちょきするVサインです。「いいなあ!」メグはパパが喜ぶと自分はもっと嬉しくなるのです。それからパパも周りの人も幾つか釣りました。すっかり明るくなってお陽さんが身体中くるんできて、ビニールの合羽も脱いでしまいました。
 じっとしているのにも飽きてきて「パパ、メグ蝉見に行っていい?」そういうとパパはこっちを振り向いて「どこまで行く?」
 そう訊きました。「そこの木の辺―」始めに駐車場から下りてきた一帯は桜、くぬぎに栗なんかも重なりあっています。「遠い所は駄目だぞ!」「はーい」メグはゴンタ石を踏まないように、時々、川原の平べったい石を裏返したりして、蟹やとんぼのヤゴが隠れていないか観ながら土手の木の方へ、蝉の鳴き声の方へ向かいました。大きな古い桜の樹の裏に隠れるみたいに若々しい桜の肌もぴかぴかとお陽さまに挨拶してるようにまっすぐに育った枝に透明の羽根の蝉が三匹もくっ付いていました。遠く近くカナカナカナと呼び交わす蝉の声、ひぐらしです。遠いところでカナカナと鳴く声はメグはじきにお母さんを思い出してしまいます。パパはいつも「メグのママはすぐそこから見ていてくれるからねー」そう教えてくれたのでカナカナと鳴く声はとても好きで少しも淋しいなんて思いません。
「さくら、さくら、くぬぎ、くり、さくら、すぎ、まつ・・・・」ゆるい土手の下の樹間を歩きながらメグは樹々の名をパパに教わった通り数えていきます。お陽さまはぽかぽかと身体中に当たってすごく楽しい気持ち良いお散歩になりました。土手の下の道が川と一緒に大きいカーブで右の方へ曲がった所一帯は一本だけ太い桜の樹が四方に枝を張って、土手に赤い松の木が固まっているので蔭になって静かな空気が立ち込めているようです。メグはその桜の樹を横に見ながら通り過ぎようとしたのですが、どうしてなのでしょうか、なぜか、すごく懐かしいような、悲しい気持ちになってきたので立ち止まってじいっとその樹を見ました。土手の樹の陰で少し暗いこの桜の立つ姿が、なんにも言わないでじいっと立つかたちが、あれ以来、ずっと見てない、ずっと触ってない、ずっと抱いてもらってないあの大好きなママにとても似ている。
 さわさわさわ、風がその樹の前の草を揺らします。ひとかたまりの白い花がふわふわ揺れてママがよくしていたエプロンみたいに思えてきました。「ママ!居るの―」メグは足元の草むらの中へ入って行きました。ずんずんとその白いエプロンに向かいました。それは細っこい野菊がひょろひょろ伸びて助けあって群れ咲いているのでした。そして、白い野菊を守るように大きな桜が樹肌も柔らかくたって居るのでした。「大きい桜!」メグはその樹のてっぺんからずっと眺めて丁度メグのおでこの所までずっと目を下げて来たとき「あれっ!」メグはどきっとしました。そこにいたのです。夢みたいに綺麗な羽根を光らせたひぐらしが…遠くからの声とおぼろな姿しか見たことのないひぐらしが桜の横縞の模様の皮に、その樹の精のように、うすねずみの身体にうす緑のなめらかな羽根、じいっと動かない黒い目はつぶらです。脚はそんなに力を入れなくても樹の肌をしっかり捕まえています。メグは近くで、もっと傍で観察しようと野菊の前を横切って近づきました。その時、前の地面に何かが動いたように思えて目を凝らしました。雑草の切れ目の所に茶色い怖い生き物、(マムシ) が居たのです。メグは声もでません。マムシは細長い胴体を縮めました。
 「どうしよう?」メグはどきどきしました。驚いて足がすくんでしまいます。マムシは首をもたげてメグを睨んでいます。「どうしよう!どうしよう!」メグの頭一杯くらくらしてきた時、(ぎい!) 目の前をひぐらしが高く鳴いてびゅーんと羽根がメグの頬すれすれに飛び立ちました。「あっ!」メグは思わず、後ろへぴょこんと飛び下がりました。そして、向きを変えて来た道の方へ駆け出しました。(ぎいっ!ぎいっ!) 駆けているメグの背中へひぐらしの声が (走れ、メグ、走りなさい!メグー) ママが桜やクヌギや栗の樹の間からメグに励ましの声を掛けました。メグは背中で身体中でそう感じて思いっきりパパのところへ走っていくのでした。

 
 「畳、新しくしたの?」健一は居間に入るなり言った。母の文代は「そう、ここと、座敷だけね」そう言って畳の縁を撫ぜた。嬉しそうだった。「やっぱり、いいなあ」健一は鞄を放り出すと、仰向いてのびのびと天井を見上げた。い草の匂いがプンとする。清々しい気分だった。東京からの盆帰省。車で帰ったのでまだ体は固まっている。もう一度大きく伸びをした。
 健一は三十二歳。大学が東京の工業科だったので設備関係の会社に勤務して十年経つ。一部に上場している会社である。入社から五年は現場を持たされた。人付き合いの好きなタイプでないから、ゼネコンの監督や設備の下請け等のこまごました話し合いが苦手であったが、仕事は真面目で熱心であった。新しい技術にも積極的に勉強するほうで、メーカーの工場にも度々、技術講習を受けに行った。三年前から保守点検の課に移り、今は東京から近辺のビルや多目的ホール、体育館など自社で施工した建物の保守点検の業務を毎日の仕事として忙しく第一線で踏ん張っていた。盆の休みは課内で調整できる。普段から日曜祭日は休みではない。受け持ち区域は点検して回らなければならない。
 独身で都心のアパート住まいの彼は夜間の勤務が多かった。それでも彼はこの仕事が好きだった。夜、人の少ないビルの機械室。冷え冷えした空気。コンクリートの独特の重厚な匂い。部品などの調整の折、モンキーレンチが床に落ちてキーンと響く音。他の者との会話も要点だけで簡潔に済ます。無駄話をする余裕もない。皆が忙しく追われていた。
 正月は一週間、お盆は三日、休みを取った。田舎へ帰るには最低の日数だ。いつも車で帰る。専用の車を与えられていた。緊急に走れるように保守の課員は車と道具は手元において置く。
 都心のビルからこうして里の実家へ帰り青々した畳に寝そべると手足がゆっくりしてくる。母の文代は、今は独り暮らしをしている。父親は三年前に病死し、一人息子の健一が遠く離れていてもそう寂しがる風もなく、元気で居てくれるので安心できた。仏壇にお参りを済ませてまた畳に寝そべって、縁側から庭、畑、そして山に続く広がりを眺める。炎暑が静まり柔らかに日没が迫っていた。ヒグラシが夕闇をかきたてている。
 風はなく、ひそひそと闇が降りてきた。
 「静かやなあ」風呂の沸くまで縁側を開けたまま、裏の山が段々黒くなるのを眺めていると「網戸、閉めてね。虫が入るから」言われて縁側から座敷まで一通り見届けると「お風呂、もう良いで」母の声がした。
 次の日、早くに目は覚めた。五時半だった。母はまだ寝ている。周りの年寄りのように早起きはしない。それは以前からだ。健一はぶらぶらと外へ出た。家の裏はじきに山につながっている。高い山ではない。路は一本、車が一台の幅で続いている。そこから先は林業の者だけの通り道。それでも軽自動車は行ける路が険しい山の上までうねうね続いている。
 朝の山道は気持ち良かった。右の眼下に二メートルほどの渓があって、所々、水は細く狭く切れかかったり、また、やや幅広になったりして樹木を洗うようにうねっていた。黄鶺鴒が山から飛び出て渓の岩で尾を振っている。左手の斜面の細い雑木の茂りが道にせり出している辺りで歩く前に蝉が飛び出す。中には肩にぶつかって慌てて逃げてその辺の木にくっ付く。薄緑と薄茶の透明の羽根。ヒグラシだろう。夜明け前に脱皮して体を乾かしていたのか。急に傍を通ったのでびっくりしたのだろう。ゆっくりと歩いている。むき出しの腕や手に蚊がいつの間にか止まって喰われていた。蚊が次々くるのでしまいに両腕をぶらぶら動かしながら歩いた。やがて道は渓と離れ左方になだらかに上がっていく。古い鳥居があり、小さな祠がしずかにあった。
 周りは山を削って五、六台の車の置ける空間。祠の裏の小屋もきちんと整理されてベンチ代わりの切り株も幾つか並んでいる。健一は祠の前の賽銭箱に小銭を入れて手を合わせた。この辺りは子どもの頃に何度か来たが、その頃はもっと木が茂り、山は深く暗いように思ったのに…祠の先をゆっくりと上がりながらそんなことを思っていた。近くの藪で鶯が鳴いた。行く手の梢に小さな鳥が群れては飛び、次々と枝から枝へと渡って行く。
 遠くで目白のさえずりも美しく響く。ミンミン蝉、アブラ蝉、ツクツクホウシも朝の空気に沁みるように鳴いていた。両側は大木は無い。若木自然林だった。桜とクヌギが目に付く。桜の若木には必ず蝉が止まっていた。山道を左に巻いた茂みの枝に鬼やんまの姿を見た。健一は子どもの頃のようにしゃがんだ。生き物を見たいと思ったら体を小さくして動かない。静かにする。健一がそろそろと近くへ寄ってもトンボは飛ばない。(こいつも生まれたばっかりなんだろう) 眺めている間に一度飛んだが、すぐに元の枝に戻る。うんと顔を近づけてみても丸く見張った目をぐるりと廻すだけで逃げようとしない。たっぷりと見物して健一は立ち上がった。家に帰って朝飯を終えて母とお寺へ行き、墓参りを済ませた。父の昭六は三年前にがんで亡くなっている。(腰が痛い―) そう言い始めてからなかなか病院に行かなかったのだが、あんまりおかしいと言うので、検査をしたところがすい臓にがんが巣食って、もうどうにもならないーと母は宣告を受けた。父の入院の連絡で帰省して病室で会ったときには、父の素振りにそれ程悪い具合だと思えずに居たのは、母が医者の宣告を健一にも言わなかった為だ。「なんで、あの時、言わなかったの?」後で尋ねたら 、「言ってもお前が心配するだけで、お父さんも知らないんだから、そっとしておいた方が良いと思ってね。御免ね」母はいざとなると強いときがある。
 父は農機具のメーカーの工場に長く勤めていた。真面目な技術者で三交代の勤務も黙々と果たし、健一を大学まで行かせてくれた。定年の年に三ヶ月を残して死んだ。会社からたくさん悔やみに来てくれた。定年になったら後は毎日魚釣りをして暮らす。よくそう言っていたが、安らかに横たわる顔を見て健一は涙がこぼれてならなかった。
 母は父の残してくれた退職金と遺族年金とで暮らしている。今年からは自分も年金を貰い始めた。母も父と同じ農機具の会社に勤めていて職場で知り合ったのだ。ここの集落から車で一時間ほどのN市から嫁いで来ている。「ここは田舎やでなあ」母は時々、健一にこぼしていた。彼の東京の一人暮らしも干渉せず、ただ、真面目に勤めていればそれでいいーそんな感じだった。盆と正月の帰省の折、小遣いを渡すと嬉しそうにして仏壇に供えた。健一は母が元気で居てくれるのが何よりも有難く安心であった。
 墓参りを終え家に帰り、自分の車から道具箱を出した。家の周りの点検をするのだ。いつも帰省のときにしている事で、雨戸の滑りをよくしたり、錠前に油を差したり、網戸の破れの繕い、物置の軒に巣食った蜂の巣の取っ払い、松の枝と金木犀の枝も溢れてるので切り取った。そのあと、水道蛇口の点検。パッキンの交換、トイレの水洗のタンクの中のウキ球の確認。この集落も昨年から下水道が来ていた。母は早速に水洗トイレにしてシャワートイレを使っている。流し台の下も洗面化粧台の下も懐中電灯で覗いて水漏れや排水の詰まりを点検する。
 一通り済むと外へ出て風呂場の前のボイラーの点検。町水道の接続のところの漏れ、給湯配管の締め付け、ガスボンベの二本並んだ周りも見ておく。あと町水道のメーター器の蓋を開け、中のメーターの指針を見て漏れが無いか確認する。東京の仕事とは規模も何もかもが違うが念入りにしないと気が済まない。
 一通り終えてから道具を車に片付けて居間へ行きテレビを付けた。高校野球を見ていると近所の容子おばさんが来たと見え、庭で話す声がした。容子おばさんは健一と中学まで同級だったまさ子の母親である。文代と同じくらいか、容子おばさんはスラリとしておしゃれな方だ。文代も泥の付いた野良着などは着ないほうで、そういう面で親しいのかもしれない。「健ちゃん」母が縁側に回ってきてそこから顔を覗かせた。「お帰り―」容子おばさんも顔を見せた。健一も向き直ってペコリと挨拶をする。「ポンプが具合悪いんだって」母が言った。「昨日から水が揚がらないんよ」「へーえ。どうしたんだろう」「ポンプの音はするんだけど、水はこないんよ。いつも頼んでる電気屋さんもお盆休みか、留守番電話にしてある」「じゃあ、水は無いの?」「町水道はあるけどよ。やっぱり地下水でないと。それで、文代さんに井戸水貰いに来たのよ」一輪車にポリタンク二個を乗せていた。「健ちゃん、見てやってよ」母が言った。「判った。じゃあ、お昼過ぎたら行くよ」健一が答えると「御免ね。健一さん。折角、休みに来ているのに」「いいんよ。どうせ、暇だから」彼も笑って答えた。
 昼はソーメンが出た。錦糸玉子と焼き海苔の細切り、土生姜をたっぷりつゆに浸し、つるつると飲み込む。おかずは大ぶりの鮎の塩焼き。あつあつが美味しい。ソーメンもお代わりした。冷たくて気持ち良い。開け放した庭に法師蝉が鳴いた。風は無いが扇風機だけで十分だった。昼食のあと、青畳に大の字に伸びる。ひんやりとした表面の手触りと新しい畳の匂い。のびのびと手足を広げた。油蝉がじいーと鳴く。圧力タンクの音に似てるな。だけど、少々圧の落ちてる音だ。快調だともう少し金属的に響くのにー健一は畳の感触と里の真夏の静寂に浸りながらぼんやりと思いを巡らせていた。一時を過ぎたので健一は立ち上がって薄いブルーのワイシャツを着た。長袖である。会社の制服も長袖の社名入りのシャツにしている。腕や肘に油や汚れが付くのがいやなので半袖は着ない。車から道具を揃える。ポンプの修理か、そうだな、まず、プラスとマイナスのドライバー。モンキーレンチの小。四つ口のラチエット、カッターナイフ、ウオータープライヤー、シールテープと粘着テープ、ボロキレも用意した。ズックのひも付きのバケツに道具を入れて帽子をかぶりタオルを首に巻いて歩いて行った。
 この辺りの集落は山を背に前は開けた田園が多い。広々の田園の中を新しい幹線道路は作られている。集落の中は昔のままの道を僅かずつ広げたもので、広い空地としてはお寺の前と公民館。農協倉庫や消防分団の車庫や詰め所などは集落を外れた平地に建ててある。
 容子おばさんの家も小型の乗用車二台がやっとの空間しかない。健一の家にしても敷地は少ない。山が住まいの方に食い込んでいるのか、人間の方が山に入り込んだか、道は狭いし細い川が二本も集落を貫いていて折れ曲り、石垣を積んである。水は清々と流れ枯れたことはない。川の元口に湧水ががあって村の自慢の水である。その綺麗な川を眺めながら健一は歩いた。家々に一ヶ所ずつ川への降り口が石を三段ほど積み、簡単に洗い物ができる。川は集落を通り抜けるまでに、幾つかの会所のような溜めの箇所があり、今も防火用水になっている。そのゆるやかに渦を巻く溜めには青々の藻を慕ってオイカワやムツやメダカが出入りする。底の石の下には蟹や水生昆虫が沢山潜んでいる。時々、ウナギが上がってきて石垣に潜んでいて、子どもらは夢中で追うが、何しろ水が冷たいので長い時間遊んでいられないのだ。
 容子おばさんの家に着いた。玄関から声を掛けると、奥から「はーい」返事がして娘のまさ子が出てきた。「こんにちは」健一は久しぶりに出会った人が少し面映いので「ポンプは裏の方?」そう仕事の話から入った。
「うん、悪いわね。お休みなのに」はにかむように笑っている。白い歯がこぼれた。「母は今、回覧板配り。組長さんしてるんよ」半袖の明るい黄のブラウスとゆったりのスカート。容子おばさんに似てすらっと姿は良かった。色は白くて髪は黒い。父親は清さんと言い、郵便局に勤務していたが、十年ほど前に交通事故で亡くなっている。でっぷり太って腹が突き出ていたはずだ。外回りの途中に時折、家に立ち寄ったりしていたようで、ある日、バイクですれ違ったとき、帽子をとばしたので健一が拾ってあげたことがあった。「そいじゃあ、俺・・・」健一は玄関の網戸を閉めた。どこの家も虫除けの網の戸を立てている。裏へ回った。川に沿って軒下、二尺ほどの犬走りは薄いセメントで押さえてあり、日陰は風が抜けて涼しい。川の向こうは雑草が繁茂して、その先は山に至る間、湿地の葦の群落。昔、ここで、雉を何度も見た。緑と黄色と赤茶色の綺麗な鳥を追うのが無上の喜びの子どもの頃だ。景色の変わっていないのがなによりだった。ポンプは犬走りの中ほどにある。川に打ち込んだ吸込管が石垣の壁に立ち上がりポンプに接続出来てる。この辺は軒を深くしてあるから雨は防げるのだろう。
 電源は抜いてあった。ポンプの上カバーを取り電源を差し込んでみる。ブーンと小さく鈍い音。モーター音だ。モーターは回ろうとするがポンプの羽根車が動かないようである。ポンプ本体のスイッチを切りにして、羽根の部分のカバーをラチエットで緩めた。ボルト四本を外して脇に置き、マイナスドライバーで蓋をこじ開けた。そして羽根車を指でひねってみたが固い。顔を近づけた。小砂利が挟まっている。マイナスの先でほじくって石のかけらを除いた。指で廻すと羽根車は軽く動く。掃除するための水が欲しい。川の水では、やはり、そう思い、勝手口から声を掛けてまさ子に、やかんに町水道の水を入れてもらった。ポンプの羽根車にやかんの首から水を注いでスイッチを一瞬入れ、ストップさせた。
 水が飛び散った。再度、指で羽根を回して確認してカバーを付けてボルト四本を締めこむ。始めは手締めで四本ねじ込んでから、スイッチを入れて羽根車の回転を聞きながらラチエットで慎重にボルトの頭を締める。均等にしないと、片利きになると羽根に触れて回らなくなるのだ。ポンプの羽根車のカバーをきっちりと締めて音を確認すると、もう一回、スイッチを止めた。ストレーナーを通り抜けた小砂利があるから羽根が止まったんだ。
 砂利器も見てみよう。透明のプラスチックの蓋が四本のネジで取り付けてある。ラチエットで慎重に外す。四本のネジを脇に置き、マイナスでプラスチックを押さえている枠を、そっと、こじ開けた。砂取器の底に少し砂利が溜まっていた。裏底の掃除用の水抜きのプラグをモンキーで外す。そして、ポンプ側の管の前のごみ取りの網を良く見ると、一部に腐食の穴が見えた。ここから、小石が入ったんだな…しかし、今は金網は無い。(この次、帰ったときに替えよう。今、下手に触ると錆びて腐食してるので、もっと、悪くなる) 取り敢えずこれで治めようか…そう思っていると、「あら、ごめんね」ポンプの先の物干しにぶら下がった洗濯物の向こうから、容子おばさんが急いで干し物を片付け始めた。「こんなに、早うに来てくれると思わなかったの。ご免ね。片付けもしてなくて」「いいんよ。おばさん」健一は掃除を終えた砂取器の透明蓋をボロキレでこすって拭いてから、ゴム、パッキンに注意して四本のネジを締めていく。底裏のプラグもきっちりねじ込んで、呼び水口をプライヤーで緩めて外した。その口からやかんの水を注ぐ。口から溢れるまで注入すると、やかんは空になった。そこで、呼び水口の蓋を手締めにしておいて、ポンプの手元スイッチを入れた。ブーンとモーターとポンプの回転音。しばらく待つ。羽根が正常に動けば、じきに水を引っ張るはずだ。砂取り器の蓋は変色しているが、目を凝らすと、やがて、なにかが動いた。鈍く光を弾いて水が動いている。揚がって来たのだ。
 ポンプもキーンという音に変わった。呼び水口をプライヤーできっちり締め、少し離れたコン柱の蛇口をひねった。ジャーと何事もないようにほとばしる水。ついでに両手を洗い、ボロキレも洗うと固く絞る。健一がポンプに戻って上蓋を被せ、道具を片付けていると、干し物を取り込んでいた容子おばさんが、隣の主人と話しているのが見えた。確か、お隣のご主人は忠雄さんと言い、北陸自動車道の料金所に勤めている、そう聞いていた。俳句の先生もやっていて、時々、新聞にその句が載るんよーそう、母は前にそんなことを言っていた。健一が仕事を終えた道具入りのバケツを下げて近づくと、忠雄さんは両家の境目の塀沿いに石段で川へ降りた洗い場で石に座って、ズボンの裾を捲り上げて、水の中へ足を投げ出していた。旨そうにタバコの煙を吐く。健一は忠雄さんと目が合うと頭を下げた。親しく話したことはないが、顔は見知っている。「ご苦労さんですな」忠雄さんは容子おばさんに聞いていて、そう、言ってくれた。「ほんと、せっかくのお休みなのに…」おばさんもそう言って「直りそう?ポンプ」健一の顔を見た。「取り敢えず直ったけど」「あれ、ほんと。もう水は使えるの?」「うん」「良かった。井戸水がないと、水道はカルキが臭いで使われんもの。良かった。ほんと、ありがとう」おばさんは喜んでいる。そうだろう。健一は合点した。町の水道は地下を埋設して配管を伸ばして来る。この辺りで集落の中を通って山で行き止る。だから、水道管に注入された滅菌の塩素が先っぽで滞留するのだろう。それだから、薬品のような匂いがしている。集落の人たちは長い間、自然の湧き水をくみ上げて飲用水にしてきたから、水道水が飲めるものではない。
「あと、砂取り器のフィルターが破れてるのよ。しばらくは大丈夫と思うから、この次帰ったときに直しに来ます」「そうですか。わたしは分からないから、お任せしますわ」「うん」健一と容子おばさんの会話を聞いていた忠雄さんが「東京の暮らしはどうですか」と訊ねてきた。今日は非番でビールを飲んで、日陰で水と戯れて楽しんでいるような、ゆったりとした雰囲気を漂わせていた。「そうですね…」川の涼しそうな流れを見やって答えを探す。おにやんまが上流から悠然と飛んできた。ミンミン蝉が鳴いている。「良ろしやろな。あんたみたいな若い人は、なんせ、大都会や東京やでな」「別に、普通に仕事して変わりはないですけど」「人ばっかりやわ。わたしら、駅の中だけでくらくらしますわ」おばさんが春に結婚式に呼ばれて行ったときの事を話した。住みたくはないという。「忠雄さんも都会に出てましたな。大分と前に」「そうですね。若いときに京都です。そこで、所帯を持って暮らしてましたが、親が死んだもので帰って来ました。家内を連れて…」「そうでしたな。奥さんも、こんな田舎で吃驚しやはりましたやろ」「最初だけですわ。買い物とかが不自由なもんで。自動車の運転を習ってからは、気楽にやってますわ」「歌子さんは絵が上手やで。いつも感心してます」忠雄さんの奥さんは日本画を習っていて、展覧会にも出品して地区公民館へ年に二度は飾られる。
「忠雄さんとこは俳句の先生と絵描きさん―ほんまに文化的な生活やな。娘といつも、そう言うてます」「うちは子どもが居りませんでな。気楽なんですわ。それで、しょうもないことやって居りますんや」「しょうもないことなど、そんなことありません。婦人会でも、皆さん、感心しています」「こういう、綺麗な自然がある所に住まわして貰ってるから、出来るんですわ。家内なんか、そこの竹やぶの孟宗の太いの、五本ほど描くのに三ヶ月掛けてますんやで」「歌子さんは、落ち着いてなさるから」「ハハハ、落ち着き過ぎですな」忠雄さんと歌子さんの仲の良いのは有名だった。「そやけど、私も俳句などやっておりまして、たまには、よそへ行きますけど、やっぱりこの辺りが、よろしいなあ。なんちゅうか、落ち着きますんや。そこの竹やぶから山の景色。今は俳句の季語は秋ですが、秋だけで、山の色、十回は変わりますよ。雨の日、風の日、晴れた日、全部違う色になります。そう、思いますわ。奥行きが深いのですわ。自然というのはね」忠雄さんは新しいタバコをくわえ、遠くを見る目をした。俳諧の静かな雰囲気はこういうものかと健一は思う。(そうか、しずかに、ゆっくりと話す。足は水にさらさらとか…) 分からないままに、そんなことを感じた。容子おばさんが健一に「一服していって」と言った。玄関から回って欲しいと言われて、忠雄さんに頭を下げてバケツを持って行った。
 
 玄関から台所を通り抜けて縁側に面した居間に通された。廊下の向こうは小さな庭があって、松と百日紅と金木犀。清さんが世話をした石楠花も三本、立派なのが残っていた。
 座布団が出され、まさ子が冷やした麦茶を持ってきた。容子おばさんは皮を剥いた冷たい桃を切ってくれた。たっぷり、甘い果肉を食べながら、とりとめのない話をした。まさ子も盆休みは今日で終わりと言う。保育士になって十二年になる今年の春から園長の補佐の主任になって忙しいとこぼした。「お盆が終わると次はバザーがあるし、そのあとは運動会。来週から準備に掛からないと…」健一はまさ子が幼児の輪の中で遊戯を教えているところ、手を打って、笑って、歌って、優しく慕われている姿。それと、もう一つ、運動会の準備で若い保育士にてきぱきと指示する様子など思い浮かべ、どっちが似合っているのだろう。そうだなー彼女は、あれで、しっかりしてるから、皆んなの先頭に立って作業をしている姿が良いのかも…小学校六年の時にクラスが同じだったことがあり、その折、転校生でいじめっ子が居て、クラスの子を泣かせた。その子がまさ子に悪さをして髪を引っ張ったりしたら、まさ子は怒ってその子の腕に噛み付いて、先生を呼んで来るまで、食いついていたことがあった。そうだった。まさちゃんは強い娘だったんだ。健一は残りの桃を飲み込んだ。容子おばさんも話し好きで、また、いろいろ村の出来事を知っている。今、区長をしている京太郎さんは長く校長を勤め上げ、定年からは悠々自適でボランティアに取り組んでいること。お世話が好きで、容子おばさんの家にも縁談を持ち込んだこと。教え子で一人は教員、もう一人は銀行員。「どっちもO市に住んでいてね。いいお話なんだけど、この娘が気がないみたい」「結婚して、そんな遠いとこへ行ったら、保育士辞めんならんわ」「辞めたらいいでしょう」「でもね。せっかく、続けて頑張っていたのに…」「お嫁に行って、その先で、また、どこかへパートでも行けば良いのに」「だけど、O市は遠いわねえ。行っちゃったら、なかなか帰れないわよ」「いいわよ。無理に帰って来なくても。わたし、まだまだ元気だから」「でも、一人娘だからお母さんが心配よ」「何言ってるのよ。お見合いが嫌なんでしょう?」「まあね…」見ていて微笑ましいほど母娘は仲が良かった。暖かいものが流れているようだ。
 その時、玄関のチャイムが鳴って、おばさんが立っていった。まさ子が麦茶の新しいのを入れに立って、戻ってくると、チラシを健一に渡した。三十分ほど車で行く海岸での花火大会の案内だった。今夜七時からと書かれている。「あたし、ずっと花火見てないの。健一さん、見に行かない」「花火?」健一は新しい麦茶をごくっと飲んだ。行くとじきに決めていた。
 容子おばさんはビニール袋を提げて戻ってきた。「美津子さん知ってる。ほら、お地蔵さんの前の」「六地蔵さんの前の?」「そう、いつも、お地蔵さんの世話をしてくれて、わたしの茶飲み友達なのよ。弟さんが漁師をやってるから鮎を頼んでおいたの。落ち鮎の良いのを買っておいて、冷凍すれば、いつでも食べられるんよ」おばさんは小分けの鮎の袋を「すこしだけど」そう言って、健一に渡した。「ありがとう。でも、良いんですか?注文しておいたのでしょう」「いいのよ。また、持ってきてくれるから」「かえって、すみません」健一は頭を下げた。
 今夜の花火が気になった。「あたしが迎えに行きますわ。軽自動車の方が混んでいると楽だから」とまさ子が言った。容子おばさんはチラシを見て、「ああ、花火ね。行ってらっしゃいな。帰りにどこかでご馳走食べてくればいい」二人の顔を等分に見ながら微笑んでいた。帰るとき、おばさんがポンプの修理代金を払おうとして(払う、要らない)で押し問答をして家に帰った。

「母さん、今夜、晩飯要らない」健一が母に言った。「そう、どこか、行くの」「うん、花火」「珍しいね。一人でかい」「いや、さっき、修理に行ったとき、約束したんだよ。まさ子さんと」「あら、まあ、良いじゃないの。行ってらっしゃい。ご飯はレストランで美味しいのを食べてきたら」両方の母は同じことを言った。
 健一はワイシャツもズボンも取り、下着だけで新しい青々の畳に寝た。手足を存分に広げた。畳の匂いがぷんと来た。「母さん、秋祭り、いつだっけ」「どうして?」「うん、多分、帰省するから…」


( 評 )
 ファンタジーとして読める一、二話とリアリズム作品の三話がオムニバス形式で巧く纏められている。ふる里と、そこに生きとし生けるものへの作者の眼差しが温かく、読後に心地良い余韻が残る。油蝉の鳴き声が圧力タンクの音に似てるという比喩など、生活や労働に裏打ちされた表現もよく利いている。

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