おばあちゃんとの思い出
おばあちゃんが、亡くなってからどれくらいの年月が経つのだろう。私の頭の中では、漠然としている。おばあちゃんとは、遠く離れていて、行き来がなかったが、私の心の中では後悔と共にしっかり生きている。
私が、小学生の頃は、歩いて一時間程の所におばあちゃんは住んでいた。一部屋で、二畳程の庭があった。
小学三年生か四年生の夏休みだった。歩いておばあちゃんの所へ二晩泊りに行った。朝目を覚ますと、おばあちゃんは庭でごはんを炊いていた。お釜がぶくぶくと音を立て、たくさんの湯気をふいていた。煮炊きし、おちゃわんを洗う、小さな庭は台所でもあった。炊きたてのごはんを、おばあちゃんと、ふーふーしながら食べた。ほんのり甘くおいしかった。
食事が終ると、
「行ってくるわ。まっててな」
と言って、おばあちゃんは腰の曲がった小さな体で働きに行った。私は、道に面した小さな窓から、おばあちゃんを見送った。
おばあちゃんが、仕事に出ると、夕方帰ってくるまで私の自由な時間となった。四人兄弟の長女である私は、小さい時から、弟や妹達の子守、買いもの、家のそうじ等があり、あまり遊ぶ時間がなかった。うばぐるまに弟をのせ、友達が遊ぶのを見ていたこともある。母にとって、長女とはそういうものだったのだろう。母は、仕事をしていた訳でもなかった。
おばあちゃんの所にテレビはなかったが、漫画本を見たり、小窓からじりじり焼けつくような町を見ていた。人通りは少なく、大きな花をつけたひまわりが、つんと立っていた。壁にもたれ、ぼおーとしている時もあった。空想の世界に遊び、私の心は自由だった。時間はゆっくりと流れ、気がつけば、あっと言う間に夕方だった。
夕方になると、小窓からおばあちゃんの帰りを待った。
「おばあちゃんおかえり」
と言うと、おばあちゃんは笑って手を上げた。二人で夕食の準備をした。私は、七輪に新聞紙を入れ、上に細く割った木をのせ、火をつけた。炭をのせ、うちわであおぐと、黒い炭がだんだん赤くなっていった。火おこしはむつかしいが、好きだった。炭が全部まっ赤になると、心まで赤くなるようで、満足感があった。丸干しがこげないようにひっくり返しながら焼いた。丸干しととうふのみそ汁とうすく切ったたくあんで夕食を終えた。
「お風呂に行ってきい」
と言って、風呂代とコーヒー牛乳のお金をくれた。
「おばあちゃんは行かへんの」
と聞くと、
「毎日入ると、体の油がぬけてカサカサになるから三日にいっぺんや」
と笑った。
おばあちゃんには、持病のぜんそくがあった。せき込むたびに粉薬をのんでいた。
夜中に、私はおばあちゃんのはげしいせきで目を覚した。小窓から射す月明かりで、背を丸めたおばあちゃんは影絵のようだった。せき込みながら、薬をのんでいた。私の体はかたくなり、ふとんに入ったままじっと見ているだけだった。
朝、おばあちゃんは、何事もなかったようにごはんを炊いていた。なぜかこわくて、夜見たことは言えなかった。
あの時、どうして、背中をさすってあげなかったかと悔まれる。一言、言葉をかけていれば、おばあちゃんはうれしかったと思う。年と共に薄れいく記憶のなかで、おばあちゃんとすごしたほんの数日のことは、はっきり思い出せる。いつとはなしに、ふとおばあちゃんのことを思うことが、近頃多くなった。会いたいな。あの頃の家はもうないけれど、そこに行けばおばあちゃんに会える気がする。小さな体を丸くして、ごはんを食べていた姿が目に浮ぶ。今幸せだろうか。生前苦労した分幸せであってほしいと思う。
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